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音楽

ダニエル・ラノアという音像

Sound & Recording Magazine (サウンド アンド レコーディング マガジン) 2012年 03月号 [雑誌]

今月発売の「サウンド&レコーディング・マガジン」がダニエル・ラノアの特集だったので、買ってみた。よく知人のミュージシャン宅に置いてあったりした本誌ですが、私が買ったのは初めて。何でも1月に初来日してライブをやってったらしい。くそう、行きたかったな。

なんでこの人にこだわるかというと、80~90年代にかけてこの人が関わった音を一番好んで聴いていたから。20代の半ば頃突然U2の「ヨシュア・トゥリー」が大好きになってその年(1986年)はほぼ1年中聞く事になる。で、そのまんまU2ファンにスライドするのだけど、前作「焔」のお城で録音したというあまりに深くて広い音像とか、「ヨシュア~」の寒々とした空気感(当時洋楽の知識が全くない知り合いの女の子が『これ寒いとこの音楽だね』と言ったのは、あまりの慧眼さに未だに覚えている)とか、これは一体何なんだろうとずっと考えてた。当時はプロデュース役がずっと一緒にやってきたスティーヴ・リリーホワイトからブライアン・イーノにバトンタッチされ、彼らの隠れていたポテンシャルをグッと引き出し好セールスに繋がった事が話題になったばかり。デヴィッド・ボウイからトーキング・ヘッズまで、イーノが関わるとアーティストの音は劇的に進化/深化する。そして、そのアルバムはどれもが名盤となるので私の中でプロデューサーとしてのイーノの信頼は絶大だった。だから、U2もまたそんなイーノのマジックによって大化けしたのかな、と一応は納得した。そんな頃はラノアの存在はほとんど歯牙にもかけなかった。

ある日、業界の知人から何本かサンプルのテープをもらう。その中の1本にダニエル・ラノアの2枚目のソロ・アルバム「フォー・ザ・ビューティ・オブ・ウィノナ」があって、1曲目の「THE MESSENGER」聞いて目から鱗がボロボロ落ちた。自分が今まで持ってかれてたのは、U2やイーノの仕事よりもラノアの仕事なのだと知った瞬間だった。

その後調べていくとピーター・ガブリエルの出世アルバム「SO」のエンジニアも彼だとわかった。「SO」なんてその年(1987年)ほぼ1年中聞いてたアルバムだし。(当時は気に入るとずっとそのアルバムを毎日聴いてたんだな)

何と言ってもその圧倒的な「音像」感。音の奥の奥にまで奥行きがあって、その真ん中で音が鳴り響いているという感覚。例えば「焔」のアルバムタイトル曲で聞かれるズドン!という深さを持ったオケヒット(これが本物なのかシンセなのか謎なんだけど多分両方のミックス)とか、同じくオーケストラのクレッシェンドしてくるピッツの音の立ち方とか、「THE MESSENGER」の光の明滅の様に遠くで鳴っていてるスネアのような音とか、これらにずっと身をゆだねていると自分の内面の深いところにフェードインしていくような錯覚すら覚え実に心地よい。こうした立体感を持った音像構築へのアプローチという点では、私には冨田勲氏との共通項も見えてくる。ところで昨年公開された「GET LOUD」という映画では、ジ・エッジは自身のギタープレイを語る際にほとんどエコーとディレイの話しかしないのだけど(笑)、そりゃあさぞかしラノアとの相性もよかったんだろなあ。

今回のサンレコの特集でラノアのこれまでほとんど謎だった来歴がわかった。何とラノアを見出したのはブライアン・イーノその人だった。U2のアメリカン・ルーツ・ロックへの憧憬がラノアに辿り着いたと思いこんでたけど、実はイーノがラノアをU2に紹介したのだと。なるほどなあ。そのサウンドスケープ感覚は、イーノが提唱する環境音楽にすんなり繋がる。

以下ラノアが絡んだアルバムを列挙します。

■FOR THE BEAUTY OF WYNONA/DANIEL LANOIS(1993)
フォー・ザ・ビューティ・オブ・ウィノナ
ラノア、ソロ2枚目。ミニシアター系映画のビジュアルの様なジャケ、美しいメロディ、シンプルなバンド構成、そして音像。一アーティストとしても充分に存在感を示した完璧な1枚。歌詞にベアトリス(多分ダル)とか、トニ・ハリディとか同時代の有名女優やミュージシャンが出てくるが当時交流があったのか、それとも単なるファンなのか。なのでウィノナというのもウィノナ・ライダーかと思いきや、どうやらこれは地名らしい。

■ACADIE/DANIEL LANOIS(1989)
アカディ
ラノア、ソロ1枚目。個人的に後追いで聞いたせいか、あまり強い印象はない。ラリー・ミューレンJrとアダム・クレイトンのU2リズム隊が参加。あとブライアン・イーノ他、弟のロジャー・イーノも参加している。そう言えば「ヨシュア~」の製作過程を追ったDVD「クラシック・アルバム」では、ラノア飛び入りのU2ライブの映像がちょっとだけ見れる。

■ROBBIE ROBERTSON(1987)
Robbie Robertson
ザ・バンドのリーダー、ロビー・ロバートソンのソロデビュー作。U2メンバーがフル参加しているのが2曲と、トニー・レヴィン、マヌ・カッチェ、そしてピーガブ本人やら「ヨシュア~」「SO」2大ヒット作の面子が一堂に会する豪華な1枚。しかし、ロビー自身の華の無さのせいかアルバム全体の印象は地味。でも音世界はしっかりラノア。「ヨシュア・トゥリー」メガヒットの直後のリリースであるが、まさか二匹目のドジョウを狙ったか。その後ハウイー・Bなど売れっ子を起用する事が多かったので、一層その印象を強くする。

■SO/PETER GABRIEL(1986)
So
今さら何をかいわんやの圧倒的名盤。アバンギャルドと俗っぽさの融合、プログレとモータウンの幸せな出会い。あまりに売れすぎてポップアルバムとして軽視されがちだが、このアルバム内で行われている事はほとんど奇跡と言っていい。この年「ジャパン・エイド」で来日する訳だが見に行ったよなあ。ちなみにラノアの仕事として聴き直してみると、まだそれほど彼のカラーが出ている訳ではない。あと、トニー・レヴィン最高。大好き。

■THE UNFORGETTABLE FIRE/U2(1984)
Unforgettable Fire
U2、イーノ、そしてラノア。3つの才能がここに集結!世界はほんとに素晴らしい。ヒット曲「プライド」に隠れがちだが、このアルバムの真価はアルバムタイトル曲「焔」にあり。アイルランドの古城にオーケストラを招き入れ、それをバック・トラックとして鳴らした余りに贅沢なバンド・サウンドの深さを堪能すべし。ところで映画「GET LOUD」では、ジミー・ペイジが「MISTY MOUNTAIN HOP」のドラムの録音について語るくだりがある。そう、あれもまた、深い。

■THE JOSHUA TREE/U2(1984)
ヨシュア・トゥリー
今さら(以下同文)。ここまで挙げたアルバムはどれも80年代ド真ん中の作品にあって、あの最先端なゲート・リヴァーブを使ってないのよね。私があの頃U2に絶対の信頼を置いたのも、軽薄短小・軽佻浮薄な風潮にあって実に地道である意味時代遅れな音楽をやってる点だった。サンレコの記事によればラノアもまた、流行を追随する事なく自分のサウンドを磨いていた男だったらしい。そんな男たちが奇跡の出会いを経て時代を制した記念すべき1枚。間違いなく墓場に持っていく一枚だかんね。ちなみにCDとLPのアートワークは当時から違うのよ。

こうして見てみると、どれもジャケがモノトーン系(ないしはそれに近い)なのも面白い。これらは、20代~30代にかけて一番愛でてきた音たち。今回サンレコの記事をきっかけにいろいろと聞き直す事ができて楽しかったわ。あと、「GET LOUD」に関しては書かないと気が済まないんで、次回書くからね。BDも買ったし。

「ラストコンサート」サントラ盤復刻

ラストコンサート オリジナル・サウンドトラック 完全盤

先日タワレコよったら「ラストコンサート」のサントラが置いてあった。現在は廃盤となった日本映画のサントラを復刻する「富士キネマ」というレーベルがある。以前に「幻の湖」とか買った。その洋画ラインという事で、このたび生まれたのが「キネマ・ド・フジ」。はっきり言ってネーミングにひねり無さ過ぎだが、そのリリース第一弾という事だ。栄えある第一弾に選ばれるとは、この映画そんなにカルト人気があるのだろうか?

「ラストコンサート」は日本ヘラルド配給の日伊合作映画で1976年に公開された。落ち目の中年ピアニストと不治の病をかかえた若い女性との悲劇的な純愛ロマンスである。ラブロマンスものなどほとんど眼中にない私であるが、何故かこの映画だけは大好きなのである。

その理由のひとつが、この映画が”音楽映画”としての側面を持つ事。劇中に現実音楽として登場するピアノ曲の中に、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第二番」のフレーズが引用される。ラフマニノフと言えばクラシックの作曲家としても比較的近年に属する人で、厳格なクラシック・ファンからは「映画音楽」と言われ見下されていたりもしているそうだ(私からすればそれは最高の褒め言葉なんだけどね)。なので、逆に映画とは非常に親和性が高く、たびたび印象的に使用される。有名なところでは、スーパーマンことクリストファー・リープ主演の「ある日どこかで」という一部にカルトな人気を持つ映画での使用。「パガニーニの主題による狂詩曲」が、かなり重要な”役どころ”で流れる。ところで「ラストコンサート」における引用は、実は公式には明言されていない(と思う)。中年ピアニストが再起をかけてコンクールに応募するという曲のフレーズとしてそれは登場するので、もしかするとこれは”あまり大きな声で言えない事”なのかもしれない。

私はこの映画を大学の頃に偶然テレビで見た。中年ピアニストが何故かカッコよく思えて、大変にあこがれたもんだった。コンクールでの演奏中に、舞台そでで聞きながら息絶えるというラストシーンには滂沱の涙を流した。その頃ロックやアニメ特撮に交じって、ラフマニノフのピアノ協奏曲全集の箱ものセットを買ったりしてるんだが、多分この映画が影響したんだと思う。

_1_2_2ラストコンサート [DVD]

最後に音盤ネタ。今回復刻となったサントラ盤の元LPの他にシングルがある(画像左)。A面がテーマ曲をバックにピアニストとヒロインの会話が延々フィーチャーされている、というちょっと変わったもの。CDではボーナストラックとして収録されているので、もしかするとシングルのみの音源なのかもしれない。B面には普通にテーマ曲「St. Michel」が収録されてるが、言い忘れたがこのテーマも一度聴いたら思わず口ずさんでしまうくらいの名曲だ。

あと、日本公開時にはアン・ルイスによるカバー盤が存在していた(画像中央)。いい感じのソフトロックに仕上がっていてしかも元の曲がいいので、純粋にシングル曲として通用する。実は私、映画見るより先にこっちの方を知っていたのだ。

DVD(画像右)は数年前に出ているけど、現在はもう廃盤かな。テレビ放映時と新録音の吹き替えが両方収録されていて、新しい方は話題作りで上野樹里が担当してるので、だいたいどんな時期の商品か想像がつく。テレビ放映時の方は横沢啓子。だんぜんこっちのがいい。

さよなら SL-1200

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昨日、長年使用していたアナログ・プレイヤーSL-1200の初代機を手放した。どのくらい長年かというと、大学で下宿を始めた頃くらいだから、優に30年は軽く経っている。当時中古で購入したのだから、実質稼働期間はもうちょっと長いはず。実にタフな奴だった。

SL-1200というのはテクニクスのダイレクト・ドライヴ(以下DD)方式のアナログ・プレイヤー。通常のプレイヤーはターンテーブルの回転をゴムベルトでモーターから伝えるベルト・ドライヴ方式がほとんどであるが、DDはモーターとターンテーブルが直結していて直に回転が伝わる方式の事。SL-1200は世界で最初にテクニクス(現パナソニック株式会社)で作られたDDプレイヤーの後継機であり、ベストセラー機である。

最初の出会いは名古屋・大須の米兵(今では東京にも進出していて有名)。下宿生活を送るにあたり、どうしてもリスニング・システムがほしくて最低限の出費で中古で買いそろえたうちのひとつだった。確かスピーカーはキットの自作だったと思う。

私はあんまりオーディオの知識がなくて、ほんとに偶然に手頃な値段だったので入手したわけだが、下宿に遊びに来た目の肥えた友人が前述の予備知識を教えてくれた。もうその当時で、名機として世に知られていたのだ。

その後上京した際も、これだけは一緒に持ってきた。ステカセ(ステレオのラジカセの事)でほとんど事足りたのだけど、レコードを聞く際にはどうしてもプレイヤーが最低限必要。東京で改めてリスニング・システムを組む前は、これをステカセの外部入力につないでしのいでいた。

ほどなく時代はCDの時代に移り変わり、アナログ・レコードは一時過去の資産として歴史に消えかけた。しかし、DJの時代になって状況は一変。アナログレコードとプレイヤーはクラブシーンを中心に新たな命脈を保つ事となった。

ただそれは世間一般の話で、音楽を聴く事に少なからず時間を割いていた人々の間では、CDの時代になってもアナログをソースの一部として並行して普通に聴いていた人が多かった様だ。かくいう私もその一人。だからアナログで持ってるものを、CDで買いなおすという事はあまりなかったりするのだ。

DJシーンでは特にこのSL-1200が非常に重宝され、80年代以降も後継機が発売されいつしか定番機として定着していった。家電量販店でアナログプレイヤーを見かけなくなった時期に、楽器屋で見かけた時は心底時代の変遷を感じた。

でうちのSL-1200だが一応支障なく再生は出来るけれども、かなり前から時折33回転に回転ムラが生じる様になりそれが気になってはいた。微調整ツマミがついていて、それで安定させる事は可能なのだが、頻度が増えるにつれそれもだんだんにストレスになっていった。一度、大阪の松下本社に直接送ってメンテナンスをしていただいた事がある。量販店で修理を申し込んでも受けてもらえなかったが、直接連絡を取ったら引き受けてくれた。

近年はその回転ムラが、微調整しても安定しない事が多くなった。最近はアナログを直接ソースとして聴く事はほとんどなく、PC取り込みするためだけに利用する事がほとんど。数年前にUSBで直接入力できるプレイヤーを購入して以来、SL-1200もほとんど使用する事がなくなった。

で昨年末引っ越しをした際に、どうにも場所が確保できずとうとう手放す事を決意した。しかし、何というタイミングか、昨年の年末でメーカー自体SL-1200の開発を終了。それに伴い部品の調達ができないという理由で、中古オーディオ専門店は引き取りを中止してしまったばかりだった。

残された道は粗大ゴミかヤフオクしかない。だが、長年使ってきた愛機だけに粗大ゴミはしのびない。でオク出品したところ、幸いにしてリペアして再販売を行っている方に落札されて本日発送したという次第である。おそらく回転ムラはクォーツに問題がある可能性があるとのことなので、基盤レベルからリペアできるスキルが必要らしい。よい人に落札されたと思う。

女房に言わせると、私は異常に物持ちがいいらしいが、これで上京前から使っていた機材は全てなくなった。でもうちにはまだ、小学校の頃から使っているオバQの鉛筆削りがあるもんね。もちろん現役(笑)。というわけで、長い間お疲れ様でした。本当にありがとう。SL-1200。いい機械に巡り合えてオレは幸せ者だったよ。

好きなキーボード・ソロの話

一応キーボード弾きなので、これまで聞いたアルバムの中ですきなキーボードソロの話など。あまり音楽雑誌でも取り上げられない話題だと思う。曲単位の話になるので曲名・アルバム名・アーティスト名・キーボーディスト名の順で表記する。

■Don't Let Me Down(From the Album「LET IT BE... NAKED」)/THE BEATLES(Keybord:Billy Preston)
レット・イット・ビー...ネイキッド (CCCD)
私は、どういう訳かビートルズにはまった時期がない。アルバムは何枚か聴いてはいるが、好きなアーティストに名前を挙げるまではいかない。。そんな私でもこの「ネイキッド」がリリースされた時、興味があって買ってみた。で、このアルバムの中で一番聞いたのが「Don't Let Me Down」だったのだ。とっくの昔から知っているようで、実はこの曲をじっくり聞いたのは初めてだった。何故ならこの曲はシングルでしかリリースされておらず、これまで各種編集ものにしか収録されていなかったから。「ネイキッド」はフィル・スペクターがプロデュースする以前の姿に戻しただけでなく、あの「ゲット・バック・セッション」を統合する意味合いもあったのだ。

キーボードはビリー・プレストン。「Get Back」のファンキーな演奏ばかりが語られがちだが、私はこちらのソロにいたく惚れ込んだ。正確にはソロと言い難くて、曲終わりの決めフレーズっぽくもある。ほんの数小節のフレーズであれど、実に完成度の高い”歌”である。最近セッションの機会があるとこの曲をリクエストするが、到底及ばない。

1960年生まれの私は所謂「ビートルズ世代」ではない。ラジオの深夜放送を聞きだした小5(1971年)の頃はすでに彼らはソロ活動に入っていた。最初に意識してビートルズの曲を聞いたのが中1頃だから、この時点でもうすでに過去をさかのぼる作業になるわけだ。この頃、だいたい先輩や同級生から等しく通過儀礼のように皆ビートルズの洗礼を受ける。そして私もご多聞に漏れずおせっかいな同級生の貸してくれるレコードなどを聞くようになる。そんな中、映画「レット・イット・ビー」も引っ張っていかれて見に行くわけだ。当時名古屋の伏見にあった名宝シネマでは、冬のビートルズ映画の3本立て興行が恒例となっていた。同時上映は「ヤア!ヤア!ヤア!」と「ヘルプ」。ぎっちり満員で通路に体育座りして見ていた記憶があるが、真冬なのに汗をかくほどの館内の異様な熱気だけはよく覚えている。ライブ映像もろくに見る事の出来ない時代ならではの経験だったのかもしれない。そうして多くの男子(そして一部の女子)がビートルズ・マニアになってバンドを始めたりギターを手にしたりしたのだったが、私はそれよりもテレビの特撮・アニメやブルース・リーや中日ドラゴンズやマンガに忙しく、ロックに本格的に目覚めるのはもう2・3年後になる。

近年この頃の同級生達と、年に一度集まって名古屋で飲み会をしている。私を名宝シネマに引っ張って行ったやつらも来るのだが、今ではみんな家庭をそれぞれ持ち音楽とは無関係な生活を送っている。そして当時彼らの熱狂に乗れなかった私が今もおめおめと音楽を続けているのだから、ほんと人生はわからない。

■Bye Bye Blackbird(From the Album「ROUND ABOUT MIDNIGHT」)/Miles Davis(Keybord:Red Garland)
'Round About Midnight
話はいきなりJAZZ方面に。上京後、クラシック・ピアノのレッスンを断念してJAZZピアノのレッスンを受けていた時期が10年ほどある。毎年発表会があって、プロのドラマーやベーシストを呼んでピアノトリオを組ませてくれるのだが、ある年に選んだのがこの曲だった。ソロ部分をフルコピーして演奏した。

一口にJAZZのソロと言ってもいろんなスタイルがあるのだが、この曲におけるガーランドのソロはコードに忠実な、それでいてちゃんと歌っているお手本のようなソロ。私の師匠いわくソロのフレーズというのは話言葉と同じで、ダラダラと演奏しないでちゃんと区切りをつけないといけない。そんな的確なフレーズがこのソロにはある。通常ソロはテーマを1コーラスずつ各楽器で回すのだが、この曲(というかセッション)ではガーランドのソロは1コーラスを越えて最後のテーマ再提示の前半部にまで及ぶ。これはきわめて異例な事だと思う。

このアルバムは数あるマイルスのアルバムでも名盤中の名盤と言われる1枚。後にモード奏法を開発する事でフリージャズの新しい地平を切り開くマイルスだが、これはモード以前の時代の作品で、非常にわかりやすく聞くやすいアルバムである。

まだハードロック少年だった高一(1976年)の頃、JAZZも聴いてみようと思い立って買ってみたアルバムが「カインド・オブ・ブルー」。モード時代の最初のアルバムであるが、当時の私には難解すぎた。月に小遣いが5000円の高校生にとって毎月何のアルバムを買うかというのは、当時最大の大問題だった。この時の落胆と言ったら。今でもマイルスのモード時代のアルバムはうちにはこれしかない。

■Southbound(From the Album「BROTHERS AND SISTERS」)/The Allman Brothers Band(Keybord:Chuck Leavell)
ブラザース&シスターズ(紙ジャケット仕様)
ここまで書いてわかったように、私が気に入るキーボード・ソロはピアノなんだよねえ。いろんなセッションを繰り返してきて感じるのは、ピアノってほんとロックにからみにくい。基本的にギターのリフ主体になるのでキーボードはロングトーン(いわゆる白玉)になるのが常。これがピアノには非常に苦手な奏法なのである。なのでオルガン系や、残響の長いエレピ系が多くなる。この曲のソロは、ピアノでロックのソロをやるには?という問いに対する答えを見せつけられた気がした。

オールマン・ブラザース・バンドと言えば、サザンロックの大御所である。そして早世したスライド・ギターの名手デュアン・オールマンを擁したバンドでもある。このアルバムはデュアン亡きあとの再出発色も強い1枚で、子供をフィーチャーしたジャケットといい、メンバーの家族集合写真といい、どことなくウェットな雰囲気の漂うアルバムでもある。このアッパーなナンバーで縦横無尽に、それでいてこれまたコードに忠実なピアノをたたくのはチャック・リーベル。どこかで聞いた事ある名前だな、と思ったら現在ローリング・ストーンズのツアーにいつもついて回っているその人なのである。私も2回来日を見に行っているんで、目の当たりにしているはず。

チャックは他にエリック・クラプトンの「アンプラグド」にも参加している。この中では「nobody knows you when you're down&out」におけるソロも好き。ブルースのスタンダード・ナンバーでもあるので、ブルース・ピアノのお手本のようなソロでもある。きっと非常にしっかりとしたブルースやJAZZの基礎ができている人なのだと思う。このようにジャンルに特化する訳ではなく、確固たる基礎を身に付けた上でどんな曲にでも参加できる人が私は好きなのであり、またそんな奏者になりたいとも思っている。

■Highway Star(From the Album「LIVE IN JAPAN」)/DEEP PURPLE(Keybord:John Load)
ライヴ・イン・ジャパン
リスナーとしても奏者としてもいろんな音楽を巡ってきたのだけど、実は結構根の方にハードロックがあるのよねワシ。このアルバムはロックを聞き始めてかなり初期に購入した1枚。というか、これからロックを聞いていこうと思うきっかけとなった1曲が、中学のお昼休みに校内放送で流れてきたこの「Highway Star」だったんだな実は。

これまで書いてきたキーボード・プレイヤーはみなピアノのプレイが中心だったが、ジョン・ロードだけはオルガン奏者。実際にやってる人にしかわからないのだけど、ピアノとオルガンでは演奏がかなり違う。特にハードロック/メタル系の音楽にピアノはあまり使われなくて、オルガン系がほとんど。

ジョン・ロードの演奏を聴いているといろんな音楽の素養を感じるが、基本的にはクラシックをベースとしたスタイル。スタジオ盤の方のソロはこのクラシック色が強くてあまりおもしろくないのだが、こちらのソロはフレーズもしっかりと立っていて素晴らしい。しかもアイデアが横溢したのか、スタジオ盤の尺の倍を演奏している。

そんな私にとって重要な「Highway Star」だが、30過ぎてようやくセッションなどで演奏できるようになった。ただしキーボードソロの部分は当然ライブ版の方。

■Alone/Bill Evans
Alone
最後は曲ではなくアルバム1枚まるごとを。ビル・エヴァンスの最高傑作と言われる有名アルバムだが、私はこのLPをJAZZピアノのレッスンを始めた頃に、ある人から貰って聞いた。自分と対話するというコンセプトで紡がれたこのアルバムを聞いて、当時の私はえらくシビれた。

一般的にピアニストのソロアルバムであれば、ちゃんと左手(主に低音及び和音)と右手でアンサンブル全体を整えるのが常であるが、このエヴァンスはトリオ・スタイルでの演奏をソロでやっているのである(というのが私の理解。おそらくそんな意図はなかったと思うが)。何が違うかと言うとトリオだとベースがいるので、左手は低音を弾く事はなく和音を要所要所で合いの手のように入れる演奏となる。ちなみに師匠はこの伴奏の仕方を「カウンター」と呼んでいた。

師匠いわく「低音がないから、ちょっと物足りないんだけどね~」だそうである。
今でも年に一度、急に聴きたくなる時があるアルバム。

尾山ノルマ結婚報告&披露パーティー

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昨日は劇伴バンドG-session の練習が終わった後、メンバー全員で船堀へ。この日はバンドメンバー尾山さんの結婚披露パーティがあり、G-session はそこでミニライブをする事になっていたのだ。初めての出張ライブ(とは言っても呼んだのは身内だが)、しかもライブハウスでない場所で。事前準備は大変だったが、なんとか形になったかな。

パーティ開始が18時30分。我々の出演が20時15分。2時間もあったので演奏時間になった時はかなりデキあがったでしまっていたようだ。バッキングの決まっている曲はなんとかなったと思うが、ソロ中心の曲はメロメロ。「西川さん、仕事してないな~」と後から言われてしまった(^^;;;;)。

<Set List>
ゴジラのお嫁さん
現場検証のテーマ(太陽にほえろ)
愛のテーマ(太陽にほえろ)
Lupin Walkin' (ルパン三世)
Taking Off(銀河鉄道999 )

他にあの自主制作特撮ヒーロー・ラインのチームもアトラクをやりに来ていた。過去にラインのための音楽を作った訳だが、この日も流れていたな。ラインはパワーアップしたそうで、ライン・アスロックというそうだ。

その他ネットによる生配信あり、物販あり、しちりきや歌の演奏ありと何のイベントだかわからなくなるようなパーティだった。二次会も含めて、まあ楽しい一日でした。

尾山さん、おめでとうございます。末永くお幸せに。&これからもよろしく。

だいじょうぶマイ・フレンド~追悼 加藤和彦

もう一カ月以上過ぎてしまったが、先般亡くなられた加藤和彦氏の事を。
その訃報はバンドの練習中に聞いた。そんなに思い入れの深い人ではなくキヨシローの時ほどの深い喪失感はなかったものの、やはり長い年月の間にたくさんの音楽の贈り物をくれた人に1人である事は間違いない。

後にその死因を聞いて少し驚いた。そしてさらにその後、遺書の内容を聞いてちょっと愕然とした。その内容は「自分の思うようなものができないと悩んでいた。若い時には当たり前のようにできたことができなくなり、そのジレンマが卓越した創造性を侵していき精神的に追いつめられていった」というものだった。

これは今余りに多すぎる中高年の鬱に起因する自殺に他ならないのではないか。この国はここ数年毎年3万人の自殺者が発生しているという。その大半が中高年に集中しているという。

氏もまた、ミューズの神に愛された1人だったに違いない。長い間音楽にこだわってきた身としては、うらやましくてしかたのない才能だ。きっと幸せな音楽人生だったに違いない。そんな人の人生がこんな終わりというのは、一体どうした事だろうか。それがとても心に引っかかった。

だから、ブログに書く事にした。こんな世の中じゃいかんと心底思うのだ。

オレは訃報が入るとCDやDVD を買いにいったりするが、今回はフォーク・クルセダーズでもなく、サディスティック・ミカバンドでもなく、ましてや「マクロス」でも「だいじょうぶマイフレンド」でもなく、一番初めに思いついたのは79年から81年にかけて発表されたヨーロッパ三部作と言われる3枚だった。

どうせなら紙ジャケをと思い訃報の翌日にタワレコほかを回ってみたが、どこにも見当たらない。amazonでも5桁のプレミアだったりする。調べてみてその理由がわかった。リリースがオーマガトキ・レーベル。それって新星堂のオリジナル・レーベルじゃん。売ってないわけだ。

で、やっとの事で手に入れた3枚の私的レヴューを。

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この3部作は加藤夫妻にその頃交流があったYMO一派と共に、音楽的な要所を渡り歩いて1枚ずつアルバムを制作していったものである。本人いわく「高級合宿のような雰囲気で録音された」ものであったらしい。

パパ・ヘミングウェイ(紙ジャケット仕様)

「パパ・ヘミングウェイ」はその第一弾でバハマで録音された。バハマって全然地理感がわかないのだなあ。よって、音楽のイメージも全然わかない。あ、バハ・メンか。そのぐらいの認識。なので、音もそんな「リゾート」な感覚のアルバムである。1979年のアルバムだが、そんな時代だったら「トロピカル」で一掃されてしまいそうである。
どうでもいい話だが、旅行なんか海外どころか国内でもどこにもいけなかった大学の頃、大瀧詠一の「カナリア諸島にて」(「ロング・バケーション」収録)という曲を聞いて、”リゾートってこんなとこだろなあ。よし、オレの新婚旅行はカナリア諸島しよう。”というバカな妄想を抱いておりました。ちなみに私が一番好きなヘミングウェイは「老人と海」。少年マガジンに連載されていた「紅のチャレンジャー」というマンガは、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の引用からはじまる。

うたかたのオペラ(紙ジャケット仕様)

「うたかたのオペラ」1980年の作で、ベルリンの録音。ベルリンと言えばデヴィッド・ボウイの「Low」と「Heroes」だ(さらに言うならイギー・ポップの「The Idiot」だ)。ベルリンでブライアン・イーノでボウイという三題話のようなパブリックイメージは、この2枚で否応なく俺の中で植えつけられた。今でもこの2枚のアルバムのおかげで、私の中でのベルリンはいつまでたってもあんな陰鬱なイメージ。そういう個人的な”ベルリンらしさ”が出てるかどうかは別として、3作の中では一番アルバムとしての完成度が高いと思う。当時でもFMや雑誌などでも評価が高かった記憶がある。

ベル・エキセントリック(紙ジャケット仕様)

「ベル・エキセントリック」1981年の作で、パリの録音。アルバムの完成度は前作にゆずるがなんと言っても「浮気なジジ」が最高にカッコイイ。この3部作が心に残っているのは一重にこの1曲の存在ゆえ。歌詞にアルバムタイトルが出てくるところからみても、アルバムの中の主軸であるのは間違いない。ただしフランスっぽいかというとそうでもないて、きわめてロックなナンバーである。
ジャケットデザインは金子國義。といえば私にとっては富士見ロマン文庫だ。これは日本で初めてのポルノグラフィー文庫。大学の頃、かなり買って読んだのだが本来の目的(笑)とかけ離れたところで、そのハイセンスな装丁が印象に残った。それは金子國義がよせたイラストのせいに他ならない。

そうそう、エリック・サティの「Je te veux」が入っていたのは知らなかった。これはシャンソン(つまり20世紀始めの流行歌)として書かれた1曲だが、今ではピアノ曲として演奏される機会が多い。弾いてるのも坂本龍一で、ほとんど楽譜通りの演奏なのでカバーとは言い難い存在。今となってはクラシック楽曲の中でも有名な方に入るこの曲も、当時はまだ知る人ぞ知る名曲だった。いやサティ自体坂本龍一が高橋悠治とのコラボなどを通じて日本に知らしめていたようなもんだった。なので、これはかなり雰囲気目的な収録に感じてしまう。ちなみに私もサティの存在は坂本龍一経由で知ったかもしれない。

この3部作は一環して坂本・細野・高橋の3人に加え矢野顕子や大村憲司というYMO一派が演奏を担っている。演奏の安定感は言うまでもないが、特に坂本龍一のスキルの高さが際立っている(様に思える)。この人、この時期のキーボーディストとしては一番の売れっ子だった。日本の音楽シーンでこれから本格的にロックバンドが成立してくるこの時代に、根っこにブルースやR&Bが全然ないこの人が重宝がられてしまったのは大変興味深い。実際、日本で一番”ニューウェイヴ”らしかったのは坂本龍一だった。それは裏返すと、ロックが一番置き去りにされていた時代だったという事かもしれない。
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一番最近に聞いた氏の作品は「おかあさんといっしょ」のために作られた「ありがとう おかあさん」。「愛・おぼえていますか」の頃の感動的なメロディ展開は健在。

どうか天国でもう一度幸せな音楽ライフを取り戻されん事を。合掌。

ジンライムのようなお月様

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 昨日は朝早くから子供に起こされ、ゴミ出して、GW価格のマックメニューをみんなで食べて、子供を公園に連れてってといういつもの休日のメニューをこなした後は、夕方近辺を原チャリでブラブラ。子供用マスク探しに幡ヶ谷まで行ってついでにブックオフに寄ったわけだが、CDコーナーに差し掛かった時何故かふとキヨシローのコーナーが目に止まった。RCじゃなくキヨシローの方。ラフィータフィーの1stがあったら欲しいなと思ったけどそれは無く、何故だかソロ第1作の「RAZOR SHARP 」が2枚も目についた。しかも87年当時発売時のヤツ。夜、子供寝静まった後いろいろ用事片付けてリビング行ったらネットさぐってた女房が「キヨシローさん、亡くなったって」と。ゆうべは1人飲み倒して明方までピアノで何度も「スロー・バラード」弾いた。

 今日は家族で渋谷の東京都児童会館に行った。途中1人で抜け出して、タワレコで「ラフィータフィー」とRCの「Baby A Go Go」買ってくる。品薄という感じでもなかったけど、店員がどんどんCDを補充してくる。考える事は皆いっしょで、朝からどんどん買ってる人がいるんだろうな。

 最初に知った曲は「僕の好きな先生」。ラジオの深夜放送を覚えた小6くらい(1972)の頃の事。アーティスト名はわからないが、好きだった1曲。その次は中2くらい(1974)の「スロー・バラード」。こん時もまだアーティスト名は知らなかった。

 そして大学2年(1980)の年、RCの大ブレイクがくる。その頃はほとんどの音源をFMエアチェックで調達していた時期。好きな人には申し訳ないが、その頃のオレは洋楽一辺倒で日本のロックというのはほとんどがダメだと思い込んでいた。しかし、「日本のも結構いけるじゃん」と思わせてくれた最初のアーティストがRCだった。オレは工学系の学部に進みたかったが、意に反して薬学部に入ってしまった。そのせいか、やる気が全然出ずほとんどの授業をさぼっている毎日だった。そん時に聞いた「トランジスタ・ラジオ」は、まんまオレの大学生活だった。「彼女教科書広げてる時、ホットなナンバー空にとけてった」「居眠りばかりしてたら、目が小さくなっちゃった」これだ。

 そんな20歳くらいの頃、当時40だったミック・ジャガーの腹見て「ロックはこうじゃなきゃいかん!」と勝手に思い込む。キヨシローもしかり。それ以降ボーカリストはケツ小さくてしまってなきゃいかん、とこれまた勝手に決め付けて。40過ぎまではオレもがんばって腹出て無かった。でも嫁さんもらった今では、新宿区にメタボ対策で呼びつけられるようになっちゃった。

 で友達に「プリーズ」と「ラプソディ」をカセットに録音してもらい、擦り切れるまで聞きまくる。その後リバイバルでリリースされた「シングル・マン」や「初期のRCサクセション」を聞いて初めて前述の曲が彼らの曲だったことを知る。「シングルマン」もやたらと聞いたなあ。本気なのかシャレなのか、RCAの社長の「こんな素晴らしいアルバムを廃盤にしていてすいません」という帯の謝罪文が今でも記憶に残る。ロック・アルバムとしても上出来だけど、「歌のアルバム」としても活き活きしていて大好き。オレは井上陽水の「氷の世界」というアルバムも大好きなのだけど、これらは日本が生んだ2大名作「歌のアルバム」だと思う。その中でも最も好きな「帰れない二人」がキヨシローの作詞と知った時はものすごくうれしかったり。それから「シングルマン」のホーン・セクションはタワー・オブ・パワーだったと最近知った。ずっと梅津和時や片山広明ら生向委のメンバーと思い込んでたけど、まだこの頃は交流なかったのね。

 それからRCはバカ売れしちゃってついに「サマーツアー」でチャートに入ったりする。この頃レコード会社はキティからEMIに移り黄金期になるんだけど、どういう訳かオレはEMI時代の音源は全然ない。実はうちにはRCのLPも1枚も無い。あるのは画像の変則的なシングルばっかり。ずっと、録音したカセットを聴いていたのだな。

 次にキヨシローを意識したのがタイマーズ。シングルとアルバム両方買ってしまう。写真はタイマーズ人形。それから物議をかもした「カバーズ」。これはレコード会社を古巣に戻しキティ=ポリドールでのリリース。CD時代になってこのキティ=ポリドール時代のボックスがリリースされ、すぐに買った。オレが好きだったRCは全部これに集約されている。「カバーズ」の「シークレット・エイジェント・マン」が死ぬほどかっこいい。この時共演した坂本冬美と後にHISを結成するのだな。

 で、いつしかRCは解散し、彼らの事もあんまり思い出す事はなくなった。で、98年豊洲でやった2回目の「フジロック・フェスティバル」でついにオレはキヨシローの生ライブに遭遇する。1曲目は知らない曲、でも2曲目がまさかのあのリフ「雨上がりの夜空」。こん時のライブはRCのナンバーを多くやってくれた。期待していなかっただけに滂沱の涙。

 以降の思い出と言えば99年のフジロックのイメージ・ソング「田舎へ行こう」。その年は母親が亡くなった年で、病床にいる事に後ろめたさを感じつつもチケット買ってしまったので行ったのだ。昨年フジロックの10年間をまとめたDVDがリリースされたが、この曲を聴くとどうしてもその頃の事を思い出す。初めて苗場で開催された年で気の重いフジロックだったが、会場のあちこちでかかっていた「田舎へ行こう」が少し気持ちを楽にしてくれた。

 オレはいっぱいいろんなライブを見てきたけど、RCの生のライブを見れなかった事は今でも悔やまれる事のひとつ。チャボのソロライブも別で見る機会があったし、梅津・片山の出演した山下洋輔のライブも見たんでもう合算で見た事にする。それからテレビで見たキヨシロー芸能生活30周年の「Y3K」というライブイベント。チャボが「オレたち50だってよお」と言うセリフにジンと来たり。そんなオレもまさか来年ほんとに50なのだ。

 キヨシローさん。オレは今いっちょ前に家庭なんか持っちゃって、ほとんど毎日生活に追われてるだけ。いろんな事が次々にあって本音言うと今でも全然自信持てなくて。どうすりゃいいのか、ってしょっちゅう悩んでてね。いつだったか夜中にテレビであんたのライブ見て「大人なんだろ~」って曲聞いて泣いた事もあった。

 でも音楽はなんとかやれてます。細々と。あんたから受け取ったメッセージとかいろんなものをオレなりに解釈して。何年か前、キース・リチャーズがやしの木から落っこちて「いよいよ死ぬか?」と騒ぎになったけど生き延びた。生き延びてツアー継続したらしくて。ロック関係者のしぶとさは筋金入りと思ってあきれると共に頼もしくもあった。

 じゃあ、なんであんた死んじゃったのかな。ダメじゃん。

 「ジンライムのようなお月様」って、最高の歌詞だと思う。大好き。

 これからもがんばるよ。これまでほんとにありがとう。

恋の呪文は”かみじゃけりますたあ”-最近買ったCDの話

世の中にCDが出回り始めた頃、雑誌でこんな事を書いてた人がいた。「CDは棚にいっぱいになったらそれ以上入らないが、LPは押し込めばなんとか入る。」長年CDはその点でのみLPに負けていた。だがしかし、紙ジャケものは同じ理屈で押し込めば入るのである。なんて画期的なんだ!しかもミニサイズだし、ついにCDはLPに完全勝利となった(笑)。よし、これからは紙ジャケ中心で買っていこう。という事で、最新の音楽雑誌チェックしてタワレコ行ったるするのだが、発売日から数日経過しているとお目当てのものが半分くらいしか買えない。 いったいこの出会いの早さは何なんでしょね。オク転売目的の投資対象にでもなっているのかしら。以下最近買ったCDレビュー、紙ジャケ・スペシャル。そういう訳で新譜の話はありません。

■ハート宣言/ハート
ドリームボート・アニー(紙ジャケット仕様)
私にとってハートは最初に存在を知ったツェッペリン・フォロワーである。日本デビューが77年だから「永遠の詩」の翌年。プロでもこんな人たちがいるんだ、というのが何しろ初めて「バラクーダ」聞いた時の感慨。もう「アキレス 最後の戦い」にしか聞こえない。
なので当然「バラクーダ」が聞きたいので、このデビュー盤を買った。あれ?入ってないよ。と思ったら「バラクーダ」は2nd「マガジン」収録でした。何故こんな間違いを?実は彼らの日本デビュー時は2ndが最初にリリースされ、その後このデビュー盤がリリースされたのだ。でラジオではまだ2ndの曲を中心にオンエアされていた時期に、このインパクト大なジャケがデカデカと雑誌広告にのっていた。そのため、長年こんな勘違いをしていたのである。
実際アンとナンシーの美人姉妹がデーンと居座るこのジャケにはときめいたものだった。当時はリンダ・ロンシュタットの「風にさらわれた恋」とかオリビア・ニュートンジョンの「そよ風の誘惑」とか、美人アーティストのLPは雑誌広告だけでドキドキできた。かわいい高校生だったものだ。
今となってはこの1stも知ってる曲が多い。しかもここでもZEP好き好きぶりは臆面もなく発揮。そっち方面から見ると「フォア・シンボルズ」あたりを標榜している印象を受ける。「バラクーダ」といい1stといい当時にしては相当にマニアックな人たちである。それでいて楽曲のクオリティやオリジナリティは極めて高い。”ZEPマニア”をやりながら、良質なオリジナル曲を提供するという事は相当に困難な事ではないだろうか?80年代に入ってヒットメーカーになる要素はすでに十分にある。

■誰がアート・オブ・ノイズを・・・/アート・オブ・ノイズ
誰がアート・オブ・ノイズを・・・(紙ジャケット仕様)
私はこの時期のトレヴァー・ホーンの動向と、バグルズ~イエス~エイジア~アート・オブ・ノイズ(及びZTTレーベル)の経緯を非常に興味深く思っている。「ラジオスターの悲劇」と「ヒート・オブ・ザ・モーメント」は同じメロディであるとか、ジョン・アンダースンが去った後の「ドラマ」がほとんどアンダースンの作ってきた世界と変わらないとか、でアンダースンが戻った後には「ロンリー・ハート」でオケヒットが初めて使われたとか(諸説あり)、あげくの果てにフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドとか。おもしろすぎ。
今でも新発見が多いし、何より「70年代のプログレは進化して80年代ニューウェイヴになった」という自論をそのまま体現している。で、アート・オブ・ノイズですが、今では個人所有のパソコンで簡単に出来てしまう”音楽をエディットする”という方法論をポップス界で最初に商業ベースに乗せたバンド(つーかユニット)ではないかと思う。”宅録派”の元祖でもあるし、おたくミュージシャン以外の何者でもないし、理系体質すら感じてしまう。
当時のFMで、ホーンの机の上にはサンプリングした音を収めたフロッピーがずらりと並んでいると言っていたが、それがなんともカッコよく思えた。で書いてて思い出したのだが、当時薬学部の学生だった私が「コンピュータやりたいっ!」と熱に浮かされたようにソフト業界に飛び込んでしまったのは、この人の影響があったのは多分間違いない。人の一生なんて、こんな事で決まってしまうのだな。ちなみにこのCDは、店頭で見かけたヤツを衝動買い。案外紙ジャケはこの買い方が一番入手しやすいのかもしれない。

■ブロウ・モンキーズ
アニマル・マジック(紙ジャケット仕様)
これはかなり前に購入したもの。私はどういう訳か、ホール&オーツやスタイル・カウンシルから最近のマルーン5まで、いわゆる「ブルー・アイド・ソウル」と呼ばれるアーティストが大好きである。本家ものもコンピくらいしか持ってないのに。このブロウ・モンキーズも期間は短いが、同時期スタカンと並び称される「ブルー・アイド・ソウル」の代表バンド。だが、プロモでも見られるビジュアルのせいで80年代ニューウェイヴ系バンドの一発屋と思われている(オレもそう思っていた)。で、何しろ「ディギング・ユア・シーン」なのである。私の弱い音にフィリーソウル系女性コーラスというのがあって、それが全面フィーチャーされていて大変心地よい。それにチャカチャカしたカッティング・ギター。ゲート・リヴァーヴをかけたスネアにフレットレス・ベース。そして極めつけソロはサックス。ああ、懐かしくもしょっぱい80年代サウンド。

■飛行船の上のシンセサイザー弾き/難波弘之
飛行船の上のシンセサイザー弾き(紙ジャケット仕様)
この人は最近では「プログレをたく」で有名。ただしシンセ使いという存在感はあまりなく(そのせいかこんな重要人物でも「電子音楽 in Japan」 には取り上げられていない)、どちらかと言えばセッション・キーボーディストという存在感。私的にはニッキー・ホプキンスとかなりかぶります。
で、音楽雑誌よりは「SFマガジン」とかそっち方面で名前を知った人。そう言えばこの人のソロって聞いたことないな、と思って今回買ってみた。ほんとは次作の「ブルジョワジーの密かな愉しみ」のが名盤らしいが、当時の雑誌でジャケに見覚えのあるこっちを買ってみた。ほんとは山下達郎の「夏への扉」の原曲をやっている1stが欲しかったが、これはレコード会社が違うので今回のリイシューから漏れているようだ。
ELP風味あり、現代音楽テイストあり、クリムゾン風味ありでそういう元ネタがすごくわかりやすい人である。さらに普通の歌ものはプロデューサーである山下達郎の色合いが強くなってしまい、やはり個性の弱さを感じる。ご本人も「僕は自分をプロデュースする能力が無くて」と言っているが、そういうとこなんか親近感感じるなあ。私もテーマや企画が何にもないところから音楽作るのは大変苦手だしバンドもカバーばっかりだし。
その他SFファンとミュージシャンを両立させてきたとこなど、特撮ヲタクも兼業の私の大先輩(勝手に先輩にして)。あ、私テレビアニメ「DTエイトロン」のサントラは大好きです。

■風のミラクル/ニック・ヘイワード
風のミラクル+7(紙ジャケット仕様)
これもブロウ・モンキーズと同じく、以前に買ったもの。元ヘアカット100のあの人です。音的には80年代風の音づくりに全然なっていなくて当時はダサく思えたけど、今となってみればそれが逆に普遍性を勝ち得ていると思う。それにしてもこの邦題、なんかアニメソング(「エスパー魔美」とか)みたい。

■悲しきサルタン&ブラザーズ・イン・アームズ/ダイア・ストレイツ
悲しきサルタン ブラザ-ズ・イン・アームス

ニューウェイブの嵐吹きすさぶ80年代初頭、ラジオから突如聞こえてきた「サルタン」のインパクトは絶大だった。今となってみればそれはルーツ・ロックの最も良心的な形だった事がわかるが、シンセの音にふぬけていた大学生の耳にはほとんどノー・エフェクトなそのギターの音は充分新鮮だった。抑揚を抑えたマーク・ノップラーの歌声には、ディランからの影響もうかがえる。
もう一枚はMTVにうまく乗っかって絶大なセールスを記録した5th。CGを駆使したプロモとか、スティング参加とか話題にことかかない。同じ年に参加したライブ・エイドでは、スティングとの共演も実現していた。
しかし私、この人たちずっとアメリカのバンドだと思っていたよ。

コムロについて

コムロ容疑者タイホ。私にはこれが、一連の”かつての勝ち組”の没落に繋がって見える。でも「ザマーミロ」みたいな気分より、むしろ哀れみのようなものを感じてしまっている。どうも音楽に関わっているものとして、彼に同じような根っこを感じているようで。

私は10代の頃からミュージシャンに強い憧れを持っていて、今でもそれは基本的に変わらない。で、自分がやってる楽器である鍵盤弾きにはあんまり憧れない変な人、というのは以前にも書いた。私が一番カッコイイと思っていたのは、実は元々ミュージシャンの資質がってその延長線上でプロデューサー業をやっている人たち。ジミー・ペイジがすきなのもギタリストとしての側面より、プロデューサーとしての側面に強く魅力を感じていたから。

例えばブライアン・イーノ、ダニエル・ラノア、トレヴァー・ホーン、etc。バンドのカラーに関わらず彼らの手にかかると魔法のように音が変わる。なんてカッコいいんだろう。

あとはアレだ。30年くらい前のある日のNHK-FM「ヤング・ミュージック・ショー」。渋谷陽一が今泉洋氏(この人は同番組の選曲担当だったそうですが、メカ系に強いらしく当時自作シンセサイザーを売りに出していたような人)をゲストに呼んで「プロデュースとは何ぞや」みたいな特集をやっていた。これはスタジオでバンドに生の演奏をしてもらい、その音素材を使っていろんなエフェクトを施し最終的にレコードの音に近づけていくというプロセスを公開するというもの。素材はデビューしたてのバウワウ。この番組が私の「プロデューサーという仕事」に対する認識を決定づけた。あとは「ロッキンf」かなんかにのっていたピンク・フロイドの「アニマルズ」のサウンド構築行程のフロー・チャートとか。

コムロ氏はそういう「俺プロデューサー観」にかなう最初の邦人アーティストだった。それまでにも萩原健太氏とか有名な人はいたが、彼は先に挙げたような欧米のプロデューサー諸氏に勝るとも劣らない存在感を持っていた。後に小林武史氏やつんく氏がクローズアップされるのも、彼の存在あっての事だと思う。

ここで思い出話。TMを解散して世間から忘れ去られていた時期に、とある深夜番組でコムロ氏を見かけた。新しい音楽を求めて世界中を回ってきたらしく、ラジカセを持ち込んでその収穫を披露していた。「これが世界で一番新しい音楽”ジャングル”です。」おそらくこの時期が、成功前の一番のドン底だったのだろう。その後の彼の活躍の舞台となった「エイベックス・トラックス」は、当方もその設立時に少し縁がありそちらも注目していたので二重の意味でしばらく動向をウォッチしたものだった。

でご存知のように90年代の半ばから”コムロ系”が世の中を席捲していくのだけど、個人的にはその頃の彼が関わった音楽の大半には興味がない。それは”消費されていくための音楽の時代”のはじまりであったと思うし、彼がJ-POP界に残した罪は功よりも大きいものがあると思う(何しろ、作曲という仕事を軽んじた発言をマスコミに残した事はちょっと許せない)。だが、内田有紀に提供した「オンリー・ユー」と浜ちゃんと歌った「WOW WAH TONIGHT ~時には起こせよムーブメント~」はその中でも数少ない好きな曲。前者は後のスーパーカーやパフュームにつながるガール系エレポップの傑作だと思うし、後者は吉田拓郎・佐野元春からドラゴン・アッシュ、最近のGReeeeN に共通するトーク風味のメッセージ・ソングとして出色の出来だと思う。おそらく根っこにロック、とりわけブリティッシュ・ハードロックと70年代フォークの衝動を持つであろう氏のピュアな部分が素直に出ている好例だと思う。(アマチュア時代は八王子でツェッペリン・マニアをやっていたらしいし)また、TM時代に角川映画「天と地と」の劇伴を担当した事もあった。ポップス畑の人が劇伴に乗り出すという事がまだ珍しかった時代で、いったいどんな音楽をつけるのか興味があってCDを買ったなあ。

あるいはEOSなどYAMAHAシンセの広告塔になっていた時代もあった。当時YAMAHAのシンセは何故か私のまわりのプロ・セミプロの人には敬遠される傾向にあり、特に当時のEOSはオールインワン・タイプで初心者向きという印象があったが、それを積極的にライブなどで使っていた。結構既成概念に捉われない柔軟さと反骨精神はあったのかも。X Japanのヨシキと結成したV2というユニットも、キーボーディスト2人というあまり類を見ないもので、カリスマ性を持つ2人でなければ実現しえなかったものだった。なんだかんだで、コムロ氏個人の動向は注目していたんだなと今更ながら思う。そう言えば最初のHPをホリエモンが作ったなどという話題が出ていたけど、確かに日本のインターネット普及期には彼のHPはアーティスト系サイトの代表的な例として、データショーやパソコン雑誌などで盛んに紹介されていた。楽曲の完パケ・カラオケをアメリカから日本に専用回線でデータ配信するなんて事も早くからやっていたし、IT業界にも初期から積極的に関わってきていた。やっぱり同じような指向性を感じるのである。

プロデューサーとしての絶頂期、彼のTV特番を見た事がある。その中で自分のソロ・アルバムも計画しているという事で、曲作りのためにピアノに向かうシーンがあった。で、しばらく座っていたコムロ氏はなんと「何もできません」と言って、おもむろにピアノの蓋を閉めた。今でもそのシーンが忘れられない。この人は「音楽を消費する」という道を選択した事により、何かを失ってしまったんだなと思い知ってしまった。いつか音楽シーンの一線から退いた時に、ソロ・アルバムが作れるかもしれないといった様な事をナレーターは語っていたが、最近の彼にそんな日々が到来していたとは到底思えない。何かが違っていたらそんな実りのある”余生”を送れていたのかもしれないが、現実はまるで違う様相を呈した。最近の彼の報道の映像を見るたびに、私はピアノの前でうなだれていた”勝ち組プロデューサー”小室哲也の姿をなぜか思い出す。

鏡の中の野心

鏡の中の野心
一般にも広く名前が知られたウルトラセブン・アンヌ隊員役のひし美ゆり子さんが、セブン終了後に数々の映画でスッポンポンになっているのもこれまたかなり有名な話。本日のタイトルはそんな1本で、数年前に発掘DVD化された非常に幻度の高い作品。結構なヒットになったようで初回生産があっと言う間に完売した。

でこの映画、アンヌファン・ひし美ファンにとって”至宝”であるのは間違いないが、俺のようなイカれポンチな音楽ファンにとっても全く別の価値を持つ作品だったのだ。

TVのドラマやアニメで流れる劇伴の中には、その作品のために作られた音楽だけでなく既存曲が使われる場合がある(これを流用曲と言ったり、エクストラ音楽と言ったりするが)。有名ヒット曲やクラシック曲、製作スタッフがその時好きだった曲、たまたまその辺にあったレコード、そしてメディア(レコード・CD)を購入するだけで自由に使用する事が出来るフリー音源まで、油断していると全く何が混入してくるかわからない。時にそれが異様に画面にマッチしたりして強い印象を残す事があり、その後サントラ盤にも収録されず出展もわからずかくて永きに渡り我々を煩悶させるのがこれら流用曲。

この映画に使われている音楽は、そんなこれまで謎だった流用曲の数々だった。

<タイトル曲>
まず映画のタイトル曲からしてびっくり。「科学忍者隊ガッチャマン」のファンには「ジョーのテーマ」として語り継がれているあの曲がフルサイズ・SEセリフ被り一切無しで流れているではないか。これ他にもイデオンなどで流れたという証言があるし(未確認)、私の記憶ではキカイダースナックのCM(おまけが丸いカードでラッキーカードで当たるアルバムがベルト型をしていた)でも使われていたような(当然未確認・・・って確認できる日が来るのであろうか)。焼け付くようなトランペットの音が、ほこりっぽい70年代な西日を思い起こす。ジリジリとしていてシビれるほどカッチョいい。今持って出展不明。

<40分頃>
でまあ、ジゴロ役荒木一郎の手腕にコロコロ騙されていくお姉さん達との絡みにいい加減食傷してきたところで、キレンジャー畠山麦が出てきて少し目が覚める(ちょうどライブエイドをリアルタイム視聴していた時、夜明け頃マドンナで寝落ちかけるが、レッド・ツェッペリンが出てきて目が覚めたような)。ここにかぶってくるちょっと調子のいいジャズロック風の曲が、ウルトラマンタロウ・モチロンの回で奴が出現するたびに鳴り響くあの曲。主メロを何で弾いているかわからないが、どことなくローズ系のエレピを想起させる。もしくは、ハモンドの音をかなり極端に加工したか。(余談であるが、ピンク・フロイドの「エコーズ」などで冒頭からギターのように鳴り響くあの音もハモンドで鳴らしているらしい。あの楽器は我々の知っているいかにもハモンドな音から、かなりかけはなれた音も出す事が可能なのだのだ。その意味で元祖シンセ的な存在でもあった)これまた出展不明。

<49分頃>
物語も中盤頃、ラブホにて医者が女子高生のスカートに頭突っ込んで「これはいかんなあ。妊娠しているようだ。」とほざき淫行に及ぼうとするすさまじくバカバカしいシーン。絵面のバカさとうらはらにここで流れるのはこれまたガッチャマンでギャラクターの陰謀が人類を脅かすシーンで散々流れたデザスター音楽なのだ。地鳴りのような持続音にノーコード(無調)的にラッパの音が断続的に鳴り響く。絶望と不安をたくみに表現した名曲だ。当然出展不明。

<1時間10分頃>
屋上で荒木ジゴロが陰謀に気づくシーン。ここで流れるのは何故かキカイダーでイヤという程聞かされたあの曲。ダーク破壊部隊の暗躍には不可欠のあの曲で、しかも後の戦隊シリーズ「バトルフィーバーJ」などでも延々と流用されまくる。謎曲ばかりで構成されている本作の音楽群にあって一見珍しく出展の明らかな曲だが、実はすでにキカイダーの時点で「五番目の刑事」からの流用であるという点で同じ穴のムジナ。このあたり原作者の戸川昌子ご本人が出演しているが、どう見ても潤沢に予算があったと思えない本作でさらに無駄に持ってかれたと思えるゲストである。もっともご自身の原作の映画化なので、サービスして出てくれたとも考えられるが。

<1時間14分頃>
ジゴロ荒木が暴力に見舞われるシーン。ここでまたガッチャマン・デザスター音楽が流れるが、未だ全貌が分からないこの曲の別の部分の使用である。

映画は1972年松竹封切りなので、その線で詰めていけばこれらの謎の流用曲の出展も明らかになるかもしれない。おそらくガッチャマン関連の2曲は音の感触からして同一人物(またはバンド)の手によるものと思われる。ちなみにこの映画の音楽クレジットは「白井多美雄」となっているが、上記の謎曲のインパクトが強すぎるため他の曲の印象が全くと言っていいほどない。

最後にファンには強烈な印象を与えながら長年謎だった曲の出展が近年明らかになった例を2件。

<ウルトラマンタロウ・ムルロアのテーマ>
Good_moog
ウルトラの国にウルトラ6兄弟が終結し、ゾフィが内山まもるの絵を使ってウルトラの国の歴史を語る(文章で書くと訳がわからんな)壮大な前後編で、大怪獣ムルロアの黒煙で暗黒世界と化す地球のシーンで流れたあの曲。不吉なブラスと不安定な女性コーラスが更に不安を掻き立てる。日暮氏の劇伴と音の感触が近いため、オリジナルと思われていたがいつまで経ってもサントラ盤に入ってこないので長年謎だった曲。これが電子音楽の草分け的存在だったジャン・ジャック・ペリーのアルバム「Good Moog」の中の1曲だった事が近年判明した。ムーグ使いだったこの人の曲には、他に「Baroque Hoedown」という曲がある。これなんと、東京ディズニーランドのエレクトリカル・パレードのあの曲なのである。いや、タロウから東京ディズニーランドにリンクするこの人すごすぎ。ちなみにこのCDにはモットクレロンが野菜をジャンキーのように食いまくるラリパッパ曲も収録されている。

<装甲騎兵ボトムズ・レッドショルダーマーチ>
Photo
「地獄の黙示録」を模したクメン編からいきなり宇宙空間に放り出されたサンサ編冒頭にて、絶望的な静寂に満ちた宇宙空間に鳴り響く軍隊マーチ。その鮮烈さ故に永年ファンが渇望し続けた1曲。これが「二人の水兵と一人の将軍」という映画のサントラの1曲だった事が本年判明した。瞬間風速的にアマゾンでも上位にランクインされ、一時はプレミアもついたりとネット上の騒動も記憶に新しい。ちなみにこのサントラ盤、まともに聴いていくと軽快なテーマ曲の方が妙に印象に残ってしまうのだが。さらにこのCDには、劇場版ガンダムでギレン・ザビがガルマの死を悼んで(正確には利用して)ジオン公国国民をアジるシーンで流れていた曲も収録されている。1枚で2つも見つかった大変コスト・パフォーマンスのよい例。少なくとも80年代前半の数年間、日本サンライズの現場にあったレコードだったのね。

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