コムロについて
コムロ容疑者タイホ。私にはこれが、一連の”かつての勝ち組”の没落に繋がって見える。でも「ザマーミロ」みたいな気分より、むしろ哀れみのようなものを感じてしまっている。どうも音楽に関わっているものとして、彼に同じような根っこを感じているようで。
私は10代の頃からミュージシャンに強い憧れを持っていて、今でもそれは基本的に変わらない。で、自分がやってる楽器である鍵盤弾きにはあんまり憧れない変な人、というのは以前にも書いた。私が一番カッコイイと思っていたのは、実は元々ミュージシャンの資質がってその延長線上でプロデューサー業をやっている人たち。ジミー・ペイジがすきなのもギタリストとしての側面より、プロデューサーとしての側面に強く魅力を感じていたから。
例えばブライアン・イーノ、ダニエル・ラノア、トレヴァー・ホーン、etc。バンドのカラーに関わらず彼らの手にかかると魔法のように音が変わる。なんてカッコいいんだろう。
あとはアレだ。30年くらい前のある日のNHK-FM「ヤング・ミュージック・ショー」。渋谷陽一が今泉洋氏(この人は同番組の選曲担当だったそうですが、メカ系に強いらしく当時自作シンセサイザーを売りに出していたような人)をゲストに呼んで「プロデュースとは何ぞや」みたいな特集をやっていた。これはスタジオでバンドに生の演奏をしてもらい、その音素材を使っていろんなエフェクトを施し最終的にレコードの音に近づけていくというプロセスを公開するというもの。素材はデビューしたてのバウワウ。この番組が私の「プロデューサーという仕事」に対する認識を決定づけた。あとは「ロッキンf」かなんかにのっていたピンク・フロイドの「アニマルズ」のサウンド構築行程のフロー・チャートとか。
コムロ氏はそういう「俺プロデューサー観」にかなう最初の邦人アーティストだった。それまでにも萩原健太氏とか有名な人はいたが、彼は先に挙げたような欧米のプロデューサー諸氏に勝るとも劣らない存在感を持っていた。後に小林武史氏やつんく氏がクローズアップされるのも、彼の存在あっての事だと思う。
ここで思い出話。TMを解散して世間から忘れ去られていた時期に、とある深夜番組でコムロ氏を見かけた。新しい音楽を求めて世界中を回ってきたらしく、ラジカセを持ち込んでその収穫を披露していた。「これが世界で一番新しい音楽”ジャングル”です。」おそらくこの時期が、成功前の一番のドン底だったのだろう。その後の彼の活躍の舞台となった「エイベックス・トラックス」は、当方もその設立時に少し縁がありそちらも注目していたので二重の意味でしばらく動向をウォッチしたものだった。
でご存知のように90年代の半ばから”コムロ系”が世の中を席捲していくのだけど、個人的にはその頃の彼が関わった音楽の大半には興味がない。それは”消費されていくための音楽の時代”のはじまりであったと思うし、彼がJ-POP界に残した罪は功よりも大きいものがあると思う(何しろ、作曲という仕事を軽んじた発言をマスコミに残した事はちょっと許せない)。だが、内田有紀に提供した「オンリー・ユー」と浜ちゃんと歌った「WOW WAH TONIGHT ~時には起こせよムーブメント~」はその中でも数少ない好きな曲。前者は後のスーパーカーやパフュームにつながるガール系エレポップの傑作だと思うし、後者は吉田拓郎・佐野元春からドラゴン・アッシュ、最近のGReeeeN に共通するトーク風味のメッセージ・ソングとして出色の出来だと思う。おそらく根っこにロック、とりわけブリティッシュ・ハードロックと70年代フォークの衝動を持つであろう氏のピュアな部分が素直に出ている好例だと思う。(アマチュア時代は八王子でツェッペリン・マニアをやっていたらしいし)また、TM時代に角川映画「天と地と」の劇伴を担当した事もあった。ポップス畑の人が劇伴に乗り出すという事がまだ珍しかった時代で、いったいどんな音楽をつけるのか興味があってCDを買ったなあ。
あるいはEOSなどYAMAHAシンセの広告塔になっていた時代もあった。当時YAMAHAのシンセは何故か私のまわりのプロ・セミプロの人には敬遠される傾向にあり、特に当時のEOSはオールインワン・タイプで初心者向きという印象があったが、それを積極的にライブなどで使っていた。結構既成概念に捉われない柔軟さと反骨精神はあったのかも。X Japanのヨシキと結成したV2というユニットも、キーボーディスト2人というあまり類を見ないもので、カリスマ性を持つ2人でなければ実現しえなかったものだった。なんだかんだで、コムロ氏個人の動向は注目していたんだなと今更ながら思う。そう言えば最初のHPをホリエモンが作ったなどという話題が出ていたけど、確かに日本のインターネット普及期には彼のHPはアーティスト系サイトの代表的な例として、データショーやパソコン雑誌などで盛んに紹介されていた。楽曲の完パケ・カラオケをアメリカから日本に専用回線でデータ配信するなんて事も早くからやっていたし、IT業界にも初期から積極的に関わってきていた。やっぱり同じような指向性を感じるのである。
プロデューサーとしての絶頂期、彼のTV特番を見た事がある。その中で自分のソロ・アルバムも計画しているという事で、曲作りのためにピアノに向かうシーンがあった。で、しばらく座っていたコムロ氏はなんと「何もできません」と言って、おもむろにピアノの蓋を閉めた。今でもそのシーンが忘れられない。この人は「音楽を消費する」という道を選択した事により、何かを失ってしまったんだなと思い知ってしまった。いつか音楽シーンの一線から退いた時に、ソロ・アルバムが作れるかもしれないといった様な事をナレーターは語っていたが、最近の彼にそんな日々が到来していたとは到底思えない。何かが違っていたらそんな実りのある”余生”を送れていたのかもしれないが、現実はまるで違う様相を呈した。最近の彼の報道の映像を見るたびに、私はピアノの前でうなだれていた”勝ち組プロデューサー”小室哲也の姿をなぜか思い出す。


Comments
色々と感慨深いですね。
Posted by: 貴日 | November 18, 2008 at 12:26 PM
EOSの広告やってましたねぇ。あれは私のヤマハ嫌いを後押ししました。
なにしろ音楽演奏を直接的に介して特定企業や製品の宣伝をしていたわけですから、これは「チンドン屋」の定義に合致するなぁ・・・などと思ってしまいました。
今となっては可哀想な状態ですが、この際どんどんしゃべって、悪い人たちが周囲にいたのなら道連れにしてほしいです。
Posted by: ミウラ和尚 | November 18, 2008 at 11:42 PM
こんばんは、
大昔、この人のお勧めで、恐怖の頭脳改革を買ったような・・・
Posted by: 追川光太郎 | November 19, 2008 at 12:20 AM
>>貴日さん
>>色々と感慨深いですね。
ほんとですよ。今回このずれた時期にあえてブログに書いたのはあまりにこの人の叩きが多いため。仮にも犯罪を犯した人間に同情の余地はありませんが、この機会にも一度彼の業績をきちんと見直してみたいなと思って。生み出した”親”が道を違えても、そこから生まれた音楽には罪はないと思うので。
>>ミウラ和尚さん
>>あれは私のヤマハ嫌いを後押ししました。
どういう訳か、ちゃんとやってる人ほどヤマハ嫌いですよね。かくいう私も意識もせず、最初に買ったDX-7以降はXG音源を持つミニキーボード以外家にあったためしがありません。
>>なにしろ音楽演奏を直接的に介して特定企業や製品の宣伝をしていたわけですから、
>>これは「チンドン屋」の定義に合致するなぁ・・・などと思ってしまいました。
まあでも、ギタリスト(とりわけHR/HM界では)やドラマー(パールとか、こちらはそのままバンド名にもなっていた)の世界では結構当たり前になってました。
>>今となっては可哀想な状態ですが、この際どんどんしゃべって、
>>悪い人たちが周囲にいたのなら道連れにしてほしいです。
そうですね。でももう私はそれ以降はもう興味がないです。ほとんどあの耐震疑惑とかライブドア事件とかと同じで、今ではありふれすぎちゃって。
>>追川光太郎さん
>>大昔、この人のお勧めで、恐怖の頭脳改革を買ったような・・・
それは・・・・、やはり彼もそれなりにいい仕事をしていましたね(笑)。
Posted by: 西川GoWest | November 20, 2008 at 01:41 AM