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August 2008

赤塚不二夫逝く

この人とキース・リチャードは絶対死なないんじゃないかと思ってたけど、やはりこの日が来ましたか。

昭和30年代生まれだと「おそ松くん」となるんだろうけど、実は私はあんまり思い入れがない。モノクロ時代のアニメソングはほとんど歌えるのに、おそ松だけは後に復刻盤レコードで初めて聞いたりとか、六つ子全員の名前が今でもうろ覚えだったりとか。マガジンも古くから買っているのでバカボンも一応は読んでいたが、どうも昭和40年代前半くらいまでのホノボノした赤塚マンガはあんまり食いつきがよくなかったようだ。

で、最初に好きになったのが「もーれつア太郎」、というよりもニャロメ・ベシ・ケムンパス。何故かこいつらが大好きで毎日ノートに書きなぐっていたのが小4くらい。この時代は学生運動が盛んで、ニャロメはそんな全共闘世代の若者のシンボルであったらしいが、私にとってはそれはそんな重要な話でもない。そう言えばココロのボスも、その類をみないネジのはずれ具合が大好きだった。そういうオバカさん故、泣かせるエピソードもあったなあ。

そして少年サンデーで「レッツラ☆ゴン」が始まる。これが私の赤塚観を変えた。こんなバカバカしいマンガ、今まで読んだことがない。この時期は「アメリカの雑誌『MAD』に影響を受けて」と定番のように言われるが、そのアナーキーさと付き抜け具合、そして無意味さが当時の私(小学校高学年)にキョーレツに響いた。それはマガジンのバカボンでもそうで、ある時期を境にどんどん狂い出す。ある時はデッサンのみだったり、ある時は劇画タッチだったり、「実験」の名を借りた思いつきネタが毎週連発。おそらく本人もこの時期は紙一重の状態だったんじゃないだろうか?シド・バレットか、はたまたカート・コバーンか、そんな狂気が、仮にも少年向け週刊マンガ雑誌からにじみ出ていた。とにかくこの時期の赤塚マンガは、私のギャグマンガ観を根底から覆した。ちゃんと笑える「ギャグマンガ」があるんだと。この衝撃を越える体験は山上たつひこ「がきデカ」の出現までない。

以前新宿3丁目の「夢ろまん」というスナックによく通っていたんだけど、そこのマスターが若い頃全盛期の赤塚氏がよく飲みにきていたのを目撃したらしい。毎晩女性をたくさん連れてきては、全部おごって道路で大の字で寝ていたと。実に豪快である。

さて、「レッツラ☆ゴン」「天才バカボン」もやがて連載を終える。それぞれ「少年フライデー」「B・C・アダム」に連載が切り替わる訳だが、ほとんどの人がそんな作品聞いた事もないと思う。私はマンガ家としての赤塚不二夫は、それまでが全盛期だと思っている。それは70年代中期、意外に早い失速だった。あとは「元祖天才バカボン」とかあるんだけど、それらはむしろアニメ関係者の方の功績になる。初期に単行本を出版していた曙書房についても書きたいけど、長くなるので。

もうひとつ赤塚氏と言えば、タモリや山下洋輔などのジャンルを越えた交流を忘れてはいけない。その面々たるやまさに梁山泊。そんな交流から生まれたのが雑誌「まんがNo.1」であり、アルバム「ライヴ・イン・ハトヤ」である。「まんがNo.1」の話は去年書いたので以下参照。でもこれだけはも一度書く。井上陽水の「桜三月花吹雪」のラリパッパ度は、赤塚ワールドのそれに他ならない。陽水の狂気は、赤塚ワールドから受け継いだものだったのかもしれない。

帯をギュッとね・最近買った音盤の話(2007/2/17)

赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション ライヴ・イン・ハトヤ 氷の世界

赤塚マンガの単行本って、うちでは以前から中途半端な巻がポロポロとあっただけでいつの間にか処分されてしまっていて今ではほとんどない。この機会にバカボンとレッツラ☆ゴンの文庫をまとめ買いしようかな。

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