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February 2006

パパになる日

P1010722

 この七月、私パパになります。嫁はすでに妊娠5ヶ月目に入っております。お会いできる人たちには口頭でお伝えしてありますが、慎重を期してネット上での書き込みは控えていただくようお願いしてきました。で一応安定期に入ったという事で、そろそろネット上でもお伝えしようかと。

 昨日は仙台にある塩竈神社に実家の父と妹とで安産祈願に日帰りで行ってきました。現皇后が安産祈願に訪れた地らしく、父が亡き母との約束でかねてから行きたいと願っていた場所だそうです。

 今の気分は、多分ここをお読みの大半の方が思われる事と同じだと思います。

 「この俺がねー。」

black

 秋保温泉に向かった父と妹と別れ、私は若林地区にある徳照寺に行き針生師匠の墓参り。その後、仙台市内のブックオフで長年探してきた小説「仮面ライダーBlack MADソルジャー計画」を100円でGETした。何しろこの本は(ry。

17歳バトン(from 比呂、さん)

Janis1977


人んちの「もってって下さい」に便乗して書いてみます。

【17歳バトン】
☆17歳の時なにをしてた?

・剣道部だったが行く気になれず部活さぼって帰宅部。
・夕方の特撮・アニメは概ね見る(本放送・再放送)。
・毎月一枚ずつ買いためたレコードをなめるように聴く。聴いたレコードは必ず感想文を書いた。
・晩ご飯食べたらラジカセでAM/FMをエアチェック。
・「OUT」「ロッキング・オン」「ロッキンf」「少女コミック」「花とゆめ」「マンガ少年」などをむさぼり読む。
・世界文学全集他、手当たり次第に本を読みふける。海外文学とSFが中心。読書ノートは当然つけていた。マンガも大量に読んだ。
・少女マンガキャラクターの模写。
・ノートに怪獣・怪人リスト、及び特撮・アニメ作品のサブタイトル・リスト作成。
・クラシックピアノの練習。
・作曲なんかもしていた。
・エレキギターの練習もちょっとする(すぐ挫折)。クラシックギターも少しかじった(すぐ挫折)。
・受験勉強。
・犬の散歩。

元祖引きこもりの元祖ヲタ。学校はまじめに行っていたけど行事とかがひたすら苦痛で、友達と遊ぶという事はほとんどなかった。同好の志とも交流するという事もなく、どうも高2のこの時期だけ少し自閉症気味になっていたようだ。余談ですが、同級生に今は熟女女優となった有名人がいます。

☆17歳のイベントといえば?

・「宇宙戦艦ヤマト」劇場公開。この頃のアニメ映画はだいたい行った。特撮は「宇宙からのメッセージ」と「HOUSE」くらい(この時代は”特撮・冬の時代”と呼ばれている)。
・「スターウォーズ」「未知との遭遇」上陸。
・ロビン・トロワー・ライブ。初めての外タレライブ。
・KISS初来日ライブ。メークするおネエさん達が怖かった。
・マイケル・フランクス初来日ライブ。以上が高校時代に行った3本の外タレライブ。極端だなあ。
・レコード屋でもらったチケットで富田勲のトークショー。

☆17歳でやり残したことは?

・太田裕美のコンサートに行く事。
・エアロスミス初来日に行く事。
・快傑ズバットを見る事(敵役が生身の人間というのが気に入らなかったらしい。)
・スターウルフを見る事(松本零士に転んでいたため「スタージンガー」を見ていた。)
・「ゴレンジャー対ジャッカー電撃隊」を見に行く事。
・東宝チャンピオン祭りの終焉を見届ける事。

好きな女の子はいたけど、告白などできようもなく。男と女のいろいろを知るのはもっとずっと後。

☆17歳に戻れたら何をする?

時代もいっしょに遡ってしまうのか、現代のままで戻れるのか。
もし後者だったらパソコン&ネットは絶対やってるだろうなあ。

☆次に17歳に戻っていただく人

17歳の私(僕)は美しかったな~と思える人。”美しい”の対象や基準はおまかせします。

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小中学校とあんまり道を逸れる事なく素直に育ってきた私でしたが、17才(高2)の頃ここへ来て急に内向的になり人と接する事が極端に怖くなった。もっともそれは一時的な事だったらしく、1年くらいでじきに元のキャラに戻っていった。ただ、この多感な引きこもり時期に吸収したいろんな事が今のベースになっているのは間違いない。

ちょうど17才の頃に、ジャニス・イアンは「私が17才だった頃・・・」と歌っていた。そんな風に振り返る時代が自分にも訪れる事がはるかかなたに思えた頃だった。この先に時間が無限にあるように思え、その事に途方にくれたりもして。

そんな私も今は違う事で途方にくれています。将来設計~(汗)。

マンガ家古城武司氏逝去

 トリノ五輪開幕式は70~80年代ポップス・オンパレードと聞いてダイジェスト見てみたが、ディスコばっかりで途中で飽きて見るのやめた。ロックかけろ、ロック(笑)。ドゥービーとかジミー・ソマーヴィルとマーク・アーモンドの「I feel love」は流れたな(何をチェックしている)。

 ブロードキャスターの「7days」でも、藤田監督は取り上げられても伊福部氏は取り上げられなかった。まあ、やはり我々だけの至宝という事で。

 そんな中、またまた我々昭和特ヲタ&マンガ少年には馴染みの深い漫画家の訃報が。

http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060211000169

 古城武司氏は昭和40年代前半の冒険王や少年画報などの月刊誌でよく見かけた人。特に冒険王に連載された「スクラップ球団」は結構有名で、アニメで有名になった「アパッチ野球軍」や個性派集団・東京メッツを彷彿とさせるお話だったと記憶している(何分、古すぎてあまり覚えていない)。

 この人が私の記憶に残っているのは、昭和46年を境にテレビ作品のマンガ化作品中心となった「冒険王」でほぼレギュラー状態で描いていたから。思いつくままにあげても「超人バロム1」「流星人間ゾーン」「勇者ライディーン」「バトルフィーバーJ」「伝説巨人イデオン」など。また、「白獅子仮面」のエンディングのイラストもこの人の手によるもので、それで絵柄がわかるかもしれない。同誌のすがやみつる氏の華、石川賢氏のキョーレツさ、一峰大二氏の正統派な味わいらに比してあまり際立った個性がなかったのも原因か、復刻の機会にも恵まれていない。この機会に是非復刻を願いたい。

 当時サンデーコミックスで刊行された「バロム1」の単行本は宝物のように持っていたなあ。

 それにしても報道が四国新聞しかないとはなんとも寂しい。あと我らが味方「マンガショップ」でもちょっぴり触れられている。ここに期待。

http://www.mangashop.co.jp/

 そう言えばウルトラマンガで一部で有名な居村真二氏も少し前に亡くなった。私は第一人者のように言われる内山まもる氏よりも好きかもしれない。特にこの人の書くバルタンや女性は好きだった。

 復刻といえばDVD箱や新作映画が封切りで少し盛り上がってる「ミラーマン」だが、何故この機会に久松文雄版を復刻しないのか。映画はかなりおもしろかったよ。東京で、というか、日本中でも今渋谷でしか見れないけど。

巨星落つ「伊福部昭氏逝去」

伊福部昭氏が逝去した。一般には「ゴジラ」を始めとする東宝特撮映画の音楽の作曲家として有名。

実は私、最初の東宝レコード「ゴジラ」は買っていない。理由は単純で、お金がなかったから。時は1978年、ちょうど高二の冬でLPは月に1枚買えるくらいしかお小遣いをもらってなかった。でも死ぬほど欲しかった。この頃は、SFブームとアニメ・ブームが同時に起きていて、おそらくはその余波で製作がストップしていた東宝の怪獣映画にも再評価の機会が訪れていた。”伊福部昭”という名前を記憶したのも、この頃。ちなみにテレビでの再放送もほとんどなく、当然ビデオもない時代なので再確認しようにもほとんど手段がなかった。

ようやく伊福部音楽を追体験できたのは、ヒカシューのキーボーディスト井上誠氏がシンセサイザーで再演奏した「ゴジラ伝説」を買った時だった。一聴して鳥肌が立った。それが1983年なので、東宝レコード「ゴジラ」からゆうに5年は経っていた。今では考えられないフットワークの悪さだ。

そんな訳で、追体験は遅かった私だけど伊福部音楽は自分のDNAにしっかり組み込まれている。東宝マークに続く映画タイトルにドジャーンとかぶってくる伊福部節は、幼少期の風景に容易に立ち返る事が出来る装置に他ならない。もしかすると、それ以前の太古の記憶を刻む遺伝子のどこかにも響いているのかもしれない。そんなノスタルジーを越えた原始的な響きが何よりも魅力。

特撮ファン・映画ファンの視点からは上記のような存在であり、現代音楽的観点からはミニマル・ミュージックの祖とも言えるし、一説にはアイヌ音楽の継承者でもあるらしい。多くの有名な後進を育て上げた日本音楽界の重鎮でもあった。「ゴジラ伝説」の頃に興味があったフィリップ・グラスやスティーブ・ライヒらのミニマルや、その頃一世を風靡していたテクノやエスノ・ファンクにも共通性を見出したりもした。後に井上誠氏とお会いした時、その事の裏づけを得られてうれしかった(実際にライヒが来日時に伊福部氏に接見した事もあったそうな)。

1990年代はゴジラ映画復活とともに、伊福部音楽も復活した。新らしく録音された音楽が聴けるという奇跡。この頃は新作の完全盤を全て購入し、じっくり聴いたものだった。特に「VSモスラ」は白眉。一度渋谷タワーレコードのインストア・イベントに伊福部氏が来た事があったが、諸般の事情で行けなかったのが悔やまれる。平成ゴジラの一旦の幕引きとなった「VSデストロイア」はそこここに粗が目立つ出来の映画だったけど、溶け行くゴジラと伊福部氏の鎮魂歌に目頭が熱くなった。

井上さんが言われた「伊福部さんの音楽は、非常に少ない事をやっていてそれでいて全てに通じているんだ」という言葉が今でも忘れられない。

先週ヤフオクでいつも高値を呼んでいた「オスティナート」をようやく落札し、久しぶりに伊福部節を堪能したばかりだった。合掌です。

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