My Photo

twitter

November 2016
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

« October 2004 | Main | July 2005 »

June 2005

ビル・ゲイツのトーク・ライブ

 本日は東京ビッグサイトに行ってきました。ソフトウエア開発環境展という業界・ユーザ向け展示会です。実はビッグサイトは二度目の訪問で、前回はというとほとんどできたばかりの頃だから10年くらいは軽く過ぎている。データショーなど、こういう業界向け展示会は意外に我々のような下請け業者は足を踏み入れる機会が少ない。だいたい平日の昼間だし、普通は忙しく仕事してるのが常。なんで、今回はせっかくなんで久々に行ってみた。

 この基調講演にあのビル・ゲイツ氏が来るというので申し込んでみた。ただし結構安くない参加費を払ったよ。内容はマイクロソフト社の今後の戦略がほとんどで、さほど珍しい内容でもなかった。もうちょっと過激な発言でも聞けるかと期待したけど、思ったより普通でつまんなかったなあ。.NET以降MSって話題がとぼしく、安定期ゆえの面白みのない会社になってしまったのかも。そのつまんなさがそのまま今日の公演に現れてたか。

 ちなみに今年から来年にかけては、Visual Studio(いわゆる.NETの中心)、SQL Server、Windows、Officeが相次いでバージョンアップするらしい。MS的には数年ぶりの大変革のようだけど、これがそのままIT業界ひいては世界の変革につながるのであろうか? 

みゅーじっくばとん回答だお

・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

MP3が712 MB。スタジオ練習の録音とかライブの録音、及び、バンドメンバー配布用の音源が主。
PC上では実用用途のみにしか音源を取り込んでいない事がよくわかる。近いうちに、知人のみに公開するための秘蔵音源を蓄積する予定。

・Song playing right now (今聞いている曲)

SIBERIAN KHATRU(live)(From "Yessongs/YES" )

最近プログレはよく聴きます。

・The last CD I bought (最後に買ったCD)

X&Y / Coldplay

 なんか優等生的な音で、一頃のレニクラを思い出す。Travisと区別がつかないよ。

仮面ライダー響鬼 音劇盤(オリジナルサウンドトラック)

 こういうもんのが、結構トンがった音してたりして。癒されたりもする。

・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

1.Deacon Blues( Aja / STEELY DAN )

 高校2年の頃、ジャケ買いした一枚。以降、数十年に渡り聴くことになる1枚。超難解なコード理論を駆使しているにも関わらず、実にわかりやすく心地よい。同時に買ったのが「宇宙戦艦ヤマト ドラマ編」。月五千円の小遣いの高校生にとってLP2枚同時購入は大事件だった。

2.My Ever Changing Modes(12"ver.)(The Singular Adventures of the Style Council )

 上京した1984年の春に盛んにかかっていた。以来、春になるとこの曲が聴きたくなる。アルバム「Cafe Blue」に収録されているピアノだけのヴァージョンではなく、アコギとペットがさわやかな12インチ盤の方のが圧倒的に好き。あの頃は武蔵境に住んでいたけど、自転車で林を駆け抜けるプロモの映像と井の頭公園がぴったり重なる。

3.21st Century Scizoid Man(In The Court Of The Crimson King / KING CRIMSON )

 一度は耳で完コピしてピアノだけで演奏した事もあるこの大曲。僕にとっては永遠に汲めども尽きぬ謎のような曲。完成度が高いとか、インプロがとかそういう事ではなくてこの曲がこの世に存在しているその事自体の奇跡と不思議が限りない興味を引く。音そのものが哲学、と言おうか。

4.stairway to heaven(live)(The Song remain the Same / LED ZEPPELIN)

 いろんなバンドやアーティスト聞いてきた僕にとって、生涯ファンと言えるのはこのバンドとU2しかない。でもね、ソングという事になるとどっちも決められなくなる。そういうアーティストらに敬意を表してこの1曲。人生が変わった1曲。

5.マッハバロン / すぎうらよしひろ

 そういう訳で、僕がバンドをやっていくきっかけになったのがこの曲だった。

・Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)

 返答が遅れた原因がこの設問。知り会いでしかも手のついていないブロガーを探すのがなかなか大変で。なんで、二人だけに。演奏をとめるのも指揮者の務めだと。新たなチェーンメールになりかねないこの企画だけど、書くのも楽しいものがある。なんで、今回はデクレシェンドです。

山本ミキさん
市川さん

<6/29追記>
さらに3人のブロガーをハリケーンしたので、トラックバック送っちゃお。いきなり。

佐七さん
比呂、さん
勘さん

ミュージカルバトンというのは、こういうもんです。→ここ

愛知万博

17日、帰省がてら愛知万博に行ってまいりました。入れたのは

「めざめの箱舟」
「グローバル・ハウス(オレンジホール)」
「マンモス・ラボ」

とりあえず、押井守と35年前の雪辱・月の石とマンモスは見られた。マンモはまるで眠っているかのよう。
化石ともミイラとも違う。太古の巨大生物の生前に近い姿が見られたのは、怪獣マニアとしては感激だった。

その他入ったパビリオンは
ドイツ館、フランス館、オーストラリア館、北欧共同館、アイルランド館、インドネシア館、ベルギー館、タイ館、南太平洋共同館、ベトナム館、ブルネイ・ダルサラーム館、カンボジア館

グッズショップのみ回ったものも含めて海外パビリオン多数。ようするに入るのにそんなに苦労しないとこばかり入った。これは35年前と同じ。テーマパークのアトラク並みの企業パビリオンに比して、こっちのが万博らしいと言えば万博らしい。ただし展示物は35年前とほとんど変わっていない気がする。

環境にやさしい万博ということだが、人にはあんまりやさしくなかったな。

家獣

「家獣」といえば、70年代カルトインディーズ映画でもありアニメ版悪魔くんの十二使徒のひとりでもありますが。

ここんとこ毎日家ばっかりにいる。遊んでいるわけではないのだが、結構一日ってあっという間に過ぎていく。なんで、備忘録として毎日仕事とか音楽とかあった事をいちいちノートにつけている。メールとか電話の相手も記録してあるんで、味気ないけど多分そっちの方が日記と呼ぶにふさわしいかもしれない。そもそも日記なんて、他人が読んでおもしろいもんじゃないものな。

今メインは営業活動とそのほかに曲作りもやってるのだけど、譜面の段階で結構悩んでしまっている。今日なんかどうにも収拾つなかくなってしまい、夜帰宅した同居人にピアノで弾いて聞いてもらった。そしたらやおら歌詞見ながら鼻歌歌いだして、それがまた結構悪くない。そんなんで少し落ち込んでしまった夜だった。

一時は彼女のメロ書き留めてもみたけれど、何だかすっきりしない。こんなんでは先が思いやられるので明日またやり直す事にした。何より苦労してばかりではいけないのだ。少し自分の根本的な間違いに気がついた夜だった。

怖れていた西川の音楽製作復活宣言!

 本日、インディーズ映画作家のN氏がやってきた。かつてインディーズ特撮ものを中心に音楽を作っていた事を人づてに聞き、今回初めて対面したというわけだ。HPのリンクをのっけとこうかと思ったけど、これもまた個人情報のひとつと思うのでやめときます。弊HPのBBSにも登場しているお方なので、リンク先を自主的に入れてくれるのを待ちましょう。

 今回初対面ではあるけれど、実は作品や動向は前から知っていて共通の知人もいるので結構話がはずんだ。こういう出会いの時はいつもそうだけど、初めて会った気がしない。

 んで、今回氏の特撮ヒーロー作品の音楽をつける事になった。思えばかのラインを中心に、次から次へと依頼のあるインディーズ映画の音楽を作っていたのは20代後半から30代半ばくらいまで。あんときゃ、まだパソコン導入もまだでシーケンサーにカセットのMTRでピンポン録音という世界だった。それなりに面白かったけど、あんまりやりすぎてしんどくなっていったとか、曲作っても映画自体がポシャったりとか、いろいろの理由でやめてしまった。でも、今から思えばその頃はまだバンドとかプレイヤーとしての経験が薄く、知識だけの引き出しはいっぱいあってもノウハウ的な引き出しがすごく少ない事に限界を感じ、バンド活動中心にシフトしていった事が一番の要因だったと思う。何しろ30でライブハウスデヴューだからね。普通のミュージシャンとは逆のルートでしょう。それからだんだんに曲作りどころか打ち込み自体しなくなっていった。

 自分のアニメソングバンドを解散してから、セッション回りを繰り返しいつの間にかレギュラーバンドもでき、最近はセッション回りもあんまりしなくなった。打ち込みは全てが予定調和なので、言わばマジックがあんまりない。あと何でも全部自分でやらなきゃいけないので、そこがしんどい。バンドはその反対でマジックもあるし鍵盤に専念していればいいんだけど、いかんせんライブやって終わりというのがほとんどなので形になって残るものがほとんどない。だから、また何かそういう残る事をやりたいななんて思い出したのがここ数年。まあ、かなりわがままな事言ってたわけだ。

 そんなわけで久々に自分の過去に作った曲を聴いてみた。最後の方はWindows版のVisionに手元にMidi音源をつないで作ってたけど、Visionも作成元がおかしくなってXPには対応してなくてかつてあった音源も今はまったくない。買うだけ買ってほとんどインストールしっぱなしだったCubase SXをあわてて立ち上げた。おまけに買ったばっかしのシンセもある。ぐるっと回って戻ってきたわけだ。ただしちょっとだけレベルは上がってると思いたい。さながら螺旋階段のように。うん、思いたい。

ブログに移行

日記を流行のブログ形式に変更しました。もともとは、昨年夏渡米した際に、日本の人に向けての近況報告の目的ではじめたんだけど、用が済んだら放置。いつまでたってもなくならないので、この際利用する事にした。

でも、前のサービスでもそうだったけど基本的にあんま毎日まめにつける人でもなく、それよりBBSにレスつける方のがすきみたいで、その面では評判が悪かったです。これからはマメに書くのでよろしく(って何度言った事か)。あと以前は使えなかったトラックバックとかも使えるようにしといたんで、突っ込みとかあったらよろしく。

大体長文にこだわるから、断続的になってしまう。これからはもちょっと短く、頻繁に。

さて、5月末で前の仕事を終えて、今は次のステップを模索中の日々。ぶっちゃけ毎日家にいるのだけど、まあいろいろやる事あります。焦ってもしかたないんで、せっかくなんでなるべく楽しくやっていこうと思ってます。

ところでここんとこやたら「登録おねがいしまーす!」ってくるのが、mixi。知ってる人がゾロゾロいるし、なんだろねこれ?流行ってるのかな?

人生は野菜スープ~仮面ライダー龍騎

 平成14年に放映された「仮面ライダー龍騎」。「平成仮面ライダー」言われるシリーズの3作目。番組開始当初は”13人の仮面ライダーが登場する””ライダー版バトルロワイヤルになる”など、前2作以上に気をてらった設定ばかりが喧伝されていた。加えて主役ライダー龍騎自身のデザインも奇抜で、現在(2005年)まで6作も続いている平成ライダーシリーズであるが、早くも3作目にしてオンエア前からかなり危惧を持たれていた。結果的に龍騎は多方面に渡って多大なインパクトを残したものとなった。

 13人の仮面ライダーと聞いてまず思い出すのは、石森章太郎氏自ら描いた最初のマンガ作品の同名エピソードで、このお話は本郷から一文字への主役交代劇も担っている。ちなみに「13」という数字はライダーシリーズにとっては重要な数字で、それまでは雑誌や図鑑類のイラスト上でのみ可能だった怪人軍団を映像として実現したのも13話であった。単に1クールという放送上の区切りとも言えるが、コブラ男は2体分と数えライダー自身も入れれば13体と言えなくも無い。
 龍騎に登場したライダー達は主役の龍騎以外はすべてそれまでのライダーの最低限のアイデンティティである複眼を持っていず、また動物モチーフも持っている。もともとはライダーも怪人もショッカーの改造人間。言わば同類同志の争い。つまり龍騎に登場したライダーたちはただのやられ役に成ってしまったショッカー以降の怪人の本来持っていた属性を呼び戻したのかもしれない。どこかの世界では蜘蛛男がゲバコンドルがカビピンガが1号ライダーになったかもしれない。「龍騎はライダーじゃない」とはよく言われるけれど、実はもっともオリジナルに近いテーマを持っていたと言えるのではないか?ちなみにライダー的デザインアイデンティティを持たない「仮面ライダー」を登場させたという事で、後の作品の間口をも確実に広げたと思う。

 「龍騎」がそれまでのシリーズと異なる視点を持っていたのは、別のライダーを倒す事に対し明白に「人を殺している」と言っている点。だから、1年を通じて出現してくる新ライダー達が「倒される」事に対し、とてつもない重みが持たされている。それは最初に犠牲になる仮面ライダーシザースからしてそうだった。わずか2話の登場であったが、単に悪役を倒す以上のインパクトがあった。

 そうした重さが最初に番組に機能したのが、極悪ライダー王蛇が登場する第19話。この回はそれまで生き延びてきたライダー達が一堂に会するという点でもサービス編であったわけだが、もっともヤな性格だったガイ=芝浦淳が第二の犠牲になるエピソード。その死に到る理由が、実に不条理な形で描かれ「龍騎」という作品のもつ厳しい側面をあらわにした。

 番組はそのあたりから早くも登場する最強ライダー・オーディンの登場を期に折り返し点となる。本来なら子供達のための一大エンターテイメントとなるはずの夏休みの劇場版は、「重さ」と「厳しさ」と「悲惨さ」を詰め込んだトラウマムービーとなった。それが「仮面ライダー龍騎 Final Episode」。番組放映途中で最終回を作るという前代未聞の作品で、話題を呼ばないはずはない。そうしたスキャンダラスさも含めて、嫌悪感をあらわにする特撮ファンがでてきたのもこの頃。映画のみのキャラクター仮面ライダーファムの最期には、もっともその重さが収斂されていた。また王蛇の最期も悲惨なものであった。物語の中心となる由衣の自ら選ぶ死など、これが仮にも子供向けプログラムである事を忘れてしまうくらい陰惨な話であった。

 その後秋にはTVスペシャルも放映される。当初登場するはずの13人のライダーは劇場のみに登場するライダーも現れたため、TVシリーズでは全員登場しないこととなった。そのためのお披露目番組であり、そこに登場するライダー達はそれまでの再生怪人達と存在感においてなんら変わる事がなかった。だが、この劇場版のみに登場する仮面ライダーベルデこと高見沢逸郎が放つセリフ「結局ライダーというのは、人間そのものなんだよ」というセリフは、番組のもっとも根本的なテーマではなかったか。ライダーを倒すという事はイコール人を殺すこと。そしてライダーは人間そのものだと。

 2作目でそのほとんどのエピソードを書きあげた脚本家・井上敏樹氏であったが、今作は信奉者も多い女流脚本家・小林靖子氏との分業の形で進んでいく。劇場版はスキャンダルと不道徳に満ちたいかにも井上氏らしい作品であったが、ファンの評価は圧倒的に小林氏の回がおもしろいというもの。それを実感したのが第40話。

 夏以降少しダレていた番組をまた活性化させたのはもっとも不条理なロジックをもつ仮面ライダータイガ=東條悟であるが、その彼の裏切りにより傷つく真司。入院中にふと由衣に自分のやっている事に対して疑問を投げかける真司。変身道具であるカードデッキを床に落としても拾おうともしない描写が秀逸。その後に由衣の「真司君は真司君だから」というセリフ。場面変わって、放送以来2度目のライダー集結となる。番外的なオルタナティヴ・ゼロも参加する一大バトルロイヤルであるが、最後に登場するライダー・インペラーの伏線にもなっている豪華編。ゾルダ=北岡秀一の茶目っ気のある登場もおいしい。そんな中、サバイヴとなって現れる真司。この前段でオルタナティブ=香川教授は神埼士郎に家族を拉致されているが、その家族を助けたという。この時の無言のオルタナティヴの仮面の雄弁さ。表情が見えた。

 そして最後のライダー・インペラーの末路。変身能力を失ったままミラーワールドに残され、それまででもっとも哀れな死に方をした佐野。現世とのつながりを鏡の破片で表現した演出も秀逸。ライダーが倒れる事は人が死ぬ事。このあたりから番組を見終わった後に自分の心の中にも重いものが残るようになっていた。そして、後半の番組を牽引したといっても過言でもない東條悟の死。ライダーとしてではなく人間のまま偶発的に消えてしまう。

 このころからネット上では、最終回がどうなるのか話題が騒然となった。ひとつには劇場版がほんとに最終回なのかという興味。東映側もいつになく情報リークに慎重だった。

 そうして最終回1話前。あろう事か主人公の真司が命を落としてしまう。劇場版では真司に対し友情を示した秋山蓮。TVシリーズではその後少しもそんなそぶりは見せなかったが、ここへきて初めて真司に対し親愛の情を示す。真司は再び生き返るのか?そうして迎える最終回。予告での編集長「この戦いに正義はない。そこにあるのは純粋な願いだけだ」というセリフが重くのしかかる。

 エンディング・テロップのシーンのスナップは、早い段階で公式サイトで公開されていて、その時点で真司やライア=手塚や東條悟が何らかの形で復活する事は明白になっていた。だからどうやって納得のいく形であのシーンに持っていくのかが興味の焦点になっていた。今でも賛否両論あるあのラストだが、口ではうまく説明できないんだけどあのラストでなんか「ふっ」と気持ちが軽くなった事は確か。前週の真司の死からその直前までそうとうに胸がつまる思いがしていたのだ。吾郎ちゃんと北岡の最後には不覚にも泣いてしまった。永遠に来ない北岡を待ち続ける玲子のいるレストランの外には雪。自然までもが味方する演出。浅倉も蓮もそれぞれに死んでいく。なんともいう結末。全てがリセットされてしまうエンディングは安易といえば安易なのかもしれないけど、救いの目的でくっついていると思うので私としてはOKです。さらに最後の真司と蓮が睨み合う(見つめ合う?)シーンで完全なリセットじゃない事も表現している。それでもう充分。

 最後に切通理作氏の大冊「特撮黙示録1995-2001」(太田出版2002年12月10日)からの引用を。

 「現代は社会全体が、安定した輪郭を外から与えられたと思っても、実は流動的で、絶対に固定しているという保障はどこにもなくなっているのは、誰しも認めざるを得ないだろう。不況を含め「この時期が終われば何かが安定する」という心の支えは失われつつある。世界のあらゆる場面で過渡期が常態であるかのようになっている。そんな中で生きる意味を掴んだと思っても、それは捉え直しでしかない。ときどきバチッとフレームが合うことがあっても、その途端、また現実の基盤が揺れ動いていく。」

 1年続いたライダー達の戦いは実は1年ではなくて、それまでに何度も繰り返されてきた事だった事も語られた。「龍騎」はまさに、上記引用のような時代に生きる我々と同じような世界観の中で作られた作品だったのではないか。だから、途中途中でインサートされるメッセージは単なる視聴者である我々にも切実に実感できるものだったのだろう。

 「私たちは常に過渡期にいる。そこを認識して生きようとする試みは、与えられた枠組みが崩壊しただけでパニックになってしまうような硬直した時代精神を乗り越える可能性を、きっと持つに違いない。」(「特撮黙示録1995-2001」より)

« October 2004 | Main | July 2005 »