My Photo

twitter

November 2016
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

Recent Trackbacks

無料ブログはココログ

« 地震!雷!フジ!ロック!~FUJI ROCK FESTIVAL '02 レポート~ | Main | 夕陽・残照・ウルトラマン~帰ってきたウルトラマン見所ガイド »

デミアン/ヘルマン・ヘッセ 17才の地図

デミアン
新潮文庫;ISBN4102001026 1951年11月30日、他

 田口ランディが「デミアン」について言及したページを発見した。「そりゃあデミアンを読んでいた少年少女ならパソコンに夢中になりますよ。」とかそんな風。今の僕がパソコンに夢中かどうかは定かではないけど、仕事場と帰宅後合わせ少なくとも毎日12時間以上はPCの前にいる事は間違いない。でも、それ以上に確かなのは僕もまさに思春期のある一時期に「デミアン」に出会い、そしてそれを機にヘルマン・ヘッセの著作をむさぼり読んだ日々があったという事だ。僕が初めてパソコンを手にしたのが1992年頃で30代もいくらか過ぎた頃。それからパソコン通信からインターネットの世界へと自然に足を踏み入れていったのだけど、そんな十代の頃の読書体験の一体何が影響しているというのだろうか?

 「デミアン」を読もうと思ったきっかけは、お話の中で語られるアブラクサス(Abraxas)という神の名。これはサンタナの有名なセカンドアルバム「天の守護神」の原題でもあるのだ。しかも偶然では無く意識的な引用で、ジャケットにも「デミアン」からの引用がある。サンタナが引用までしてしまう「デミアン」って一体どんなお話なのか、それが興味はじまりだった。

 お話を要約してみよう。主人公はエミール・シンクレールという少年(年齢の描写はないみたいだけど、雰囲気からして小学校4~6年くらいかな)。ある日デミアンというどこか神秘的な年上の少年と出会う。彼は”額にカインのしるしを持つ”という。デミアンは、折に触れシンクレールに物事には幾とおりも見方がある事を示唆し、時には窮状を救いながら、結果的にシンクレールの自我の目覚めを促していく。その後、シンクレールが青年期になるまでデミアンは彼と出会いと別れを繰り返し、その都度様々なメッセージを残していく。そしてつまるところ、シンクレールもまた”額にカインのしるしを持つ”人であった。

 物語の中で象徴的に語られる神の存在がアブラクサス。アブラクサスは、神であり悪魔であり、明暗二つの世界を内蔵しているという。

 まずこの要約を読んで”ギムナジウム”とか”寄宿舎”とかそんなキーワードが浮かんで、竹宮恵子・萩尾望都の絵柄が目に浮かんだ人、その感性は信用していいと思います。70年代後半の少女マンガのみならずマンガ界全体を牽引していくこの二大女流作家の描く世界観は、多分にヘッセのそれとオーバーラップしていたと僕は思うのだ。全くの偶然なのだけど、ヘッセにはまっていた高校生当時は、「少女コミック」・「花とゆめ」などの小学館・白泉社系列の雑誌にもかなりはまっていた。妹が毎週買って来ていたのを読んでいるうちに、そのおもしろさに取り付かれてしまったというわけ。そんなふうに、10代の多感な時期には特に意識していなくても、同じような電波を発しているものに自然に出会っていくというヴィヴィッドな感性を持ち合わせているものだ。当時はヘッセの作品を読みながら、シンクレールやダミアンやハンス・ギーベンラート(車輪の下)やペーター・カーメンチント(郷愁)を、セルジュやダグ・パリジャンやエドガーやアランに置き換えて頭の中でヴィジュアルを展開していた。

 ところで、今なら「デミアン」は救世主の物語とも言えるし、超人思想とも言えるし、物事の多面性を説いた東洋的な思想の物語とも言えるけど、当時の僕がこの物語のテーマをきちんと受け止められたかというと、それはかなりあやしい。むしろ理解できていなかったかもしれない。ただ、この作品をきっかけにしてヘッセの著作をむさぼり読んだという事実があるだけだ。

 「デミアン」は一般的にはヘッセの転換期となった作品と言われる。新潮文庫の解説から引用すると

 ”『デミアン』を境として、ヘッセの作風はいわば後期に入った。ヘッセ自身、この作品にいたるまでは「世界とよい平和の中に生きていた」と言っている。(中略)それが大戦によって根底からくつがえされ、彼は内的にも外的にもまったく平和と拠り所を失ってしまった。(中略)しかし、ヘッセがもしこの転身をしなかったら、イージー・ゴーイングな甘い作家であり、ゲーテ的な意味での詩人にはなりえなかったであろう。”

 ここで言う”大戦”とは第一次世界大戦の事である。この解説が言わんとしている事は、彼の著作が延々と読み継がれている真の理由は一般的に認識されている甘々な世界故でなくて、必死の思いで転身した後期時代があったからだったという点。その後期の作品とは、例えば仏陀の生涯をゴータマとシッダールタという二人の人物に分けて描いた「シッダールタ」、アウトローの生き様を描いた「荒野のおおかみ」、エロスとアガペーの対立を描いた「知と愛」、そしてSFと言ってもいい世界観を持つ「ガラス玉演戯」など。当時の僕もこの後期作品がかなり好きだった。ちなみに「荒野のおおかみ」の原題は”steppen wolf”、そうステッペン・ウルフ!!。ここでもまたロックにリンクしてしまった。そういえば「荒野のおおかみ」はヒッピー達に回し読みされていたなんて話をどっかで読んだ。(更にまた少女マンガへもリンクするけど、山田ミネコにも「草原の狼(ステッペン・ウルフ)」という作品が存在する。偶然ではないと思う。)

 サンタナが何故この重要な作品を引用したのか明確にはわからない。当のアルバムを聞いてみてもヘッセとの関連を音から探るのは困難だ。ただ、当時のサンタナのライブでは、演奏前にステージ上で1分間の黙想(メディテーション)を行うなど、多分に東洋的な精神性を持っていたように思う(それにジャケットは横尾忠則だ)。そこが「デミアン」と繋がると言えなくも無い。でも僕には後のアルバム「キャラバン・サライ」の方が、混沌としている分一層世界観が近いと思える。

 最後に映画「オーメン」の主人公”ダミアン”と”デミアン”に関連はないだろうか?あるという意見もあります。

 僕が17才の頃、デヴューしたばかりのジャニス・イアンの「17才の頃」と言う曲が頻繁にオンエアされていた。「私が17才の頃・・・」と懐かしくも痛々しく回想するという内容の歌です。そんな頃は結構内向的で毎日しんどい思いして学校いっていたりと、この”17歳”という時代にうんざりしていた。その頃の事を語る日がくるなんて遥かに先過ぎて想像もつかなかった。そんな息苦しさ、今でもよく覚えている。

« 地震!雷!フジ!ロック!~FUJI ROCK FESTIVAL '02 レポート~ | Main | 夕陽・残照・ウルトラマン~帰ってきたウルトラマン見所ガイド »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42595/40464927

Listed below are links to weblogs that reference デミアン/ヘルマン・ヘッセ 17才の地図:

« 地震!雷!フジ!ロック!~FUJI ROCK FESTIVAL '02 レポート~ | Main | 夕陽・残照・ウルトラマン~帰ってきたウルトラマン見所ガイド »