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May 2002

ユービキタスなるユービック~Here,There and Everywhere~

最近、未来のコンピュータ・システムの在り方として”ユービキタス・コンピューティング”という事が盛んに言われている。詳しくはここあたり見てください。

”ユービキタス”。ubiquitousと書く。”どこにでもある、偏在する”という意味。英語らしいが、語源はラテン語の”ubique(あらゆる場所)”らしい。要はこれからのコンピュータはどこにでもあって相互に繋がっている姿を標榜すべき、というのがユービキタス・コンピューティングである。たとえばインターネット接続端末が駅の構内に何気にあるような事、あれもひとつのユービキタスな姿の実現と思うし、配信された音楽をMDにダウンロードして購入するアレもなかなかにユービキタスだ。あるいは、電子レンジや冷蔵庫がネットワーク対応しているなんて、以前だったら100%笑い話だった事(実際インターネット普及期にそういう冷蔵庫が発売されたけど、ほとんどまじめに取り合われなかった)が今やセールスポイントになってしまっている。これもユービキタスでしょう。そもそも携帯電話なんて、存在そのものがユービキタスだろうに。使ってる側がほとんどコンピュータ技術を意識していない点なんて、ますますそうだ。ユービキタスなコンピュータというのは、実はコンピュータが様々なものに”擬態”する事なんじゃないか。

さて、西川が好きな作家のひとりがフィリップ・K・ディック。SF界では熱心なファンの多い人で、僕も翻訳されたほとんどの著作は読み漁った。一般には映画「ブレード・ランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を著した人というのが、一番通りがいいでしょう。この人の小説の最大の魅力は、なんと言っても「不確定、不安定な現実」につきる。読んでいくうち、現在展開されている世界が実は虚構だったという事がある瞬間わかる、あるいは、だんだんに崩壊していく。これが一度はまるとたまんないんだな。ディックの小説には、このプロットを多かれ少なかれ形を変えただけみたいなものが多く存在するんだけど、病みつきになるとそのワンパターンを味わいたくて次々読んでしまう。映画作家なら、デヴィッド・クローネンバーグが近い感性かもしれない。(余談だけど、立花ハジメのアルバム「テッキー君とキップルちゃん」はディックの小説の世界観にインスパイアされたらしい)。

そのディックの初期の代表作とされる小説に「ユービック」という作品がある。もうお分かりですね。僕は昨今”ユービキタス”という言葉を聞くたびに、この「ユービック」を思い出してしまうのだ。これがこの小説からの引用だったとしたら、この味気ないコンピュータ業界にしては粋じゃないか、なんて思って調べてみたけどどうも違うらしい。ジャンジャン。

これから読む人のために小説のあらすじを書くのはやめておきます。でも話を進めるために断片的に内容を紹介します。見知らぬ土地の薬局にある薬壜のラベルや、紙マッチの広告に自分に向けられた警告メッセージが印刷されている。主人公達が活躍する世界は全ての物事が常に不安定で、何かのはずみで過去の姿に変容していき、逆に主人公たちの肉体は衰退していって遂には死に至る。”ユービック”はその退行と衰退を止める働きをするスプレー缶として登場する。これだけならユービキタスでも無いのだけど、ユービックはいたるところで手に入る。さらに、各章の冒頭につけられた様々な商品の宣伝文句、この商品の名が全て”ユービック”になっている事。つまり、ユービックはこの世界の全てのものに”擬態”している事を暗示している。擬態して偏在する。今言われているコンピュータのあるべき姿とぴったり重なり合う。ちなみに、”ユービック”というのは造語で上記の”ubique”から導き出されたもの。また、小説中でいろんなものを介して発信される警告メッセージというのもとてもユービキタスだ。そのうち僕らはユービキタスに、いろんなところからメッセージを受け止める事ができるようになるかもしれない。例えば朝キヨスクで買った新聞に、自分宛てのメッセージが書いてあるとか・・・・。

この稿をまとめるのにもう一度「ユービック」を読み直してみた。他のディック小説に比べて格段に読みやすく破綻も少ない。全編不安な雰囲気で終始するけど、そうした気分を味わってみるのもまた楽しからずや。代表作「電気羊」とはまた違ったディックの魅力の本質を味わえます。

それにしてもディックの先見性たるや、おそるべし。1960年代に既にこういう概念を予見していたのだからして。なあんて事を考えるのは俺だけかと思って検索してみたら、一人いました。「世界情報通信サミット2001」?なんか政治の臭いプンプンですが、そんな事考えている人が関わっているというのは、なかなか愉快だ。

技術者で音楽家

 ようやく昨今話題の映画「テルミン」を見た。いつの間にかレンタルになってたんだけど、実は一回レイトショーを見ようと恵比寿まで行っていたんだ。でも、道間違えちゃってそうこうするうち、開始時刻になってしまった。

 僕とテルミンの出会いと言えば、1977年に公開された映画「レッド・ツェッペリン狂熱のライブ」。これは前年発表されたライブアルバム「永遠の詩」の映像つき本編なのだけど、当時の日本の映画界ではロック映画などビートルズ以外は入りが期待できないだけに、かなり公開が絶望視されていた。だから、プロモもビデオもない時代なので、本当にうれしかった。結局僕がファンになってからZEPは一度も来日してくれなかったけど、リアルでこれを見たという事だけでも僥倖だったと思おう。でもテルミンお勧めアルバムからははずされがち。なんでだー。

 テルミン博士の境遇は、V2ロケットを開発したフォン・ブラウン博士や世界最初のコンピューターを開発したフォン・ノイマン博士と似ているかもしれない。いずれも、純粋な技術者としての人生を政治の介入によって振り回された人たち。

 話はここで突如西川の高校時代にワープする。1976年頃、ボストンというバンドがアメリカでデビューする。典型的なアメリカン・ハードロック・バンドなのだけど、ギターの音のスペーシーなエフェクト処理に特徴がある。アルバムもかなり出回ったようだけど、僕が参ったのはリーダーのトム・シュルツの背景。彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院生だった。持ち前の工学の知識を駆使していろいろと試していたらおもしろい音が出たので、メンバーを集めたのがボストン結成のきっかけらしい。工学部出のエンジニアにしてミュージシャン!なーんてカッコいいんだろう。

 同じ時期友達の間で話題になったのが、富田勲の「惑星」だった。いきつけのレコード屋でトークショーのチケットを貰い見に行った。富田氏は正式な音楽教育を受けておらず全くの独学で、むしろ機械いじりの好きな少年だったらしい。そんな話を聞いて一層盛り上がる。「工学系エンジニアになって、音楽する事」それが当時の僕にとっての唯一の価値観になった。

 翌1977年はSFブームとアニメブームが同時に来る。もうどっぷりだ。そうこうするうちご多分に漏れず受験生時代となる。この時の自分の一番の問題が”行きたい学部がない”事だった。それは言い換えれば、将来何をやりたいのかというヴィジョンが全くなかったという事だ。取りあえず自分の志向は理系である事はわかっていたが、憧れはあってもそれは現在の自分の境遇からはあまりに遠かった。結局時間切れ的に選んだのが某国立大学の工学部航空学科だった。当時、”ロケット博士”の異名をとる糸川英夫に憧れたのが理由。でも、それが現実的な選択だったかは疑わしい。で、そちらの第一志望は不合格、第二志望の薬科大学にかよう事になる。
電子音楽in JAPAN
 最近「電子音楽 イン ジャパン」という本を読んだ。いずれ音楽本のページで取り上げようと思っているけど、資料性もあってしかも読んでいておもしろい。高額な部類に入る大冊だけど、読んでる間は本当に至福だった。そして、ここには技術と音楽の両方に足をつっこんだ人達がいっぱいいた。あの頃の自分を思い出した。

 今僕はフリーのシステムエンジニア。そして音楽活動も細々続けている。あの頃憧れた姿へちょっとだけ軌道修正したのだろうか。

~星空に迷い込んだ男~クルト・ワイルの世界/VA ノンジャンルなコンポーザーとプロデューサーの出会い

Lost in the Star The Music of Kurt Weill/Various Artists (LP;A&M AMP-28138 CD;不明 1985)

 クルト・ワイルと言う人は、1920年頃に活躍したドイツの作曲家。代表作に「三文オペラ」などがあり、詩人ブレヒトとのソング・ライティング・コンビは特に有名である。とまあ、説明的な話はここまで。後は例によって各自掘り下げていただくとして、当HPらしく極私的”クルト・ワイル論”をさっさとはじめましょう。

 一時期このクルト・ワイルにかなりはまりこんだ事がある。そのきっかけとなったのが「第一夜」で取り上げた「愛はすべてを赦す/加藤登紀子 with 坂本龍一」。これでワイルの曲の魅力を知った私は、その後いろんなレコードを漁る事になる。その結果、多くのアーティストがワイルの曲を取り上げていた事を発見する。

 なんと言っても「アラバマ・ソング」。まずはドアーズのデビューアルバム「ハートに火をつけて」。2拍目と4拍目にビートがくるこの曲はロックバンドでも取り上げやすいようで、この演奏では間奏でのサーカスのジンタのような音(クラビネット?)がとても楽しげ。次にデヴィッド・ボウイ。シングルのみの発表でオリジナル・アルバム収録はなく、後にRYCO(日本では東芝EMI)でCD化された際にボーナスとして収録された(けど、最近のリイシューではその辺の発掘音源がゴッソリ抜けている。論外だ)。オフ・ビートと言うよりノービート。ボウイの才気大爆発だ。

 他にワイルの曲はジャズのスタンダードとしても演奏される機会が多く、まずは大スタンダード「マック・ザ・ナイフ」。ルイ・アームストロング他数多くのミュージシャンに取り上げられた。そして「スピーク・ロウ」。名盤と言われるウォルター・ビショップJrが有名(これは西川が最初に買ったジャズのCD)。それから「セプテンバー・ソング」。こちらはジャズ・ロック両方で取り上げられる機会が多い。

 ”クルト・ワイル歌い”として有名なのは、ウテ・レンパーというドイツの歌手。ワイルだけで1枚のアルバムを残していて、これが出世作。ジャンル的にはクラシックになるのだろうけど最近はオルタナ系アーティストと共演したロック・アルバムも出しているらしく、この人自体とてもオルタナな存在である。

 このように見てみると、ワイルはジャンルを超えて愛されている作曲家である事がよくわかる。今回取り上げるこの「星空に迷い込んだ男」は、ハル・ウィルナーという才人プロデューサーがロック・ジャズ・クラシックの様々なアーティストを集めて作ったワイルのカヴァー集。ウィルナーはジャンルを超えたコンピレーションを作らせたら右に出る人はいないと言われる人。そういう事実といい、人の集め方といい、ワイルにはノンジャンル的アプローチが最も似合うのだ。

 本アルバムに集められたアーティストは、スティング、ヴァン・ダイク・パークス、マリアンヌ・フェイスフル、カーラ・ブレイ、トム・ウェイツ、ルー・リード、トッド・ラングレン、ジョン・ゾーンなど。あらゆる様式の音楽がアトランダムに出てくる様は、さながら物置や骨董品屋の店先のよう。曲タイトルとともに散りばめられた”物”たちというジャケは実に的確だ。

 その後どうしても「三文オペラ」の実演を見たくて、いったのが斉藤晴彦率いる劇団「黒テント」のそれ。なんと時代劇というアレンジが加えられたものだった。ワイルの可能性はどこまでも広い。

 このハル・ウィルナーという人は、ジャンルを超えたアーティストを集めテーマにそったカヴァーアルバムを企画する事で名をはせた人物で、第1弾ニーノ・ロータ、第2弾セロニアス・モンク、そして、このワイル作品集が第3弾となる。その後ディズニー作品集などもリリースされるが、現行CDで入手できるのはディズニー以外洋盤でもほとんどない。その他の作品集も早急に復刻すべし!しかもこのワイル作品集には同時期発売のCDもあって、こっちのみ収録の数曲があるらしい。ぎゃあ。なお、検索かけてみて最近大ヒットとなった映画「テルミン」がひっかかったのが意外。なんとこの作品の音楽プロデュースもハル・ウィルナーだった。いやあ、すごい凄い人だ。あの映画もそうだけど、この人もまたつくづく”ノンジャンル”という言葉が似合う人なんだ。

 ところでワイルはブレヒトと親交があったせいか、格調高く扱われてしまう事もあるのだけど、それははっきり言って間違っている。彼はFMでポピュラーソングを聴くように扱うのが一番ふさわしい。なんと言っても「三文オペラ」なのだから。

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