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April 2002

地獄の番犬ケルベロス 従わなきゃならないものなんて、何もない。

押井守シネマ・トリロジー 初期実写作品集
1991年 日本 監督 押井守

 1991年は、日本は言わずと知れたバブル真っ只中。私もリゲインよろしく24時間体制でビジネス戦士をしていた。SEとして独立して2年目だったが、本職の他に音楽製作ビジネス(のまねごと)まで手を伸ばしていた。お世辞にも洗練されたビジネス展開をしていたとは言い難いけど、そんな中でも新潮社のビデオの仕事というかなりメジャー(?)なものも舞い込んできた。もちろん人づてなんだけど、その仕事を持ってきてくれた人の所属する会社は同じ時期ある劇場映画の仕事も担当していた。それがこの「地獄の番犬 ケルベロス」だった。

 この「地獄の番犬/ケルベロス」は劇場版「うる星やつら」「パトレイバー」などで、アニメ・ファンには信頼の厚い押井守監督の作品。ある種監督のライフワークとも言えるテーマを持つ1本で、赤い服をまとった少女と“プロテクトギア”と呼ばれる強化装甲服がキー・ビジュアル・イメージとして共通する作品が何作か作られている。1作目はインディーズに近かった「赤い眼鏡」、本作はその続編なのか、前史なのか、良くわからないけどとにかく2作目。近年3作目と言える「人狼」という作品が、アニメで発表された。

 この「ケルベロス」のサントラ盤は自分にとって、数ある和製劇伴系アルバムの中でも5本の指に入るくらいフェイバリットな1枚。いかんせんバンダイという今はCD業界から撤退してしまった会社の発売だっただけに、復刻の機会もなく現在はネットオークションなどで高値を呼んでいる1枚らしい。音楽担当は川井憲次氏。押井監督とは”唯一無二のコンビ”と呼ばれるほど、ほとんどの作品で音楽を担当している。いつもはオーケストラワークと、打ち込みを併用した重厚な作風なのだけれど、今作では川井氏自身が演奏するアコースティック・ギターの演奏を中心とするもの静かなたたずまいを持つサウンド。”癒し系”というよりは”瞑想系”、個人的にはライ・クーダーがものした「パリ・テキサス」にも匹敵すると思っている。

 劇場公開時は前述の如く激烈な日々だったけど、そういう人脈的な動機もあってふとぽっかりと空いた時間に見に行った。ワンカットの長回しがとても多い映画で、舞台となる台湾の裏道や街並が延々と写ったりと、正直言ってほどなく睡魔に襲われた。”ロードムービー”と言えなくもないけど、おせじにもエンターティメントとして楽しめる映画ではない。だけど、劇場を一歩外に出た途端妙にひっかかる何かがある。自分の中で完結していない何かがある。それ以降、音楽とそれがかぶさる絵が妙にフラッシュバックする。だから、サントラ発売は大変心待ちにしていて、購入して聞き終わった瞬間に初めてあの映画が完結した事を実感した。この映画の発信するメッセージを受け止めるには、この音楽達だけを抽出してトレースする事が不可欠だった。もちろん、音楽だけでも中途半端だ。

 作家の中には、同じテーマを形を変えて繰返し語るタイプの人が多くいる。もともと一人の人間の中に、そんなにいくつもテーマなど存在できるもんでもない。創作衝動を起こさせる命題は、限られて当然ではある。押井監督もまた、そんなタイプの映画作家では無いかと思っている。アニメであれ、実写であれ、主を失った者への哀れみと、もしかすると恨みの代弁のようなもの、そこから自己の存在意義の問いかけ。今作もそのテーマが濃厚だ。どこへいくやもしれぬメロディのギターが、その事をさらに裏付ける。

 ”劇判”であるという宿命を持つ以上、その音楽は映像との力関係と無縁ではいられない。往々にしてどちらかがどちらかにおもねる事が多いのだけど、「ケルベロス」では映画と音楽が互いに微妙なバランス関係で共存していて、そういった意味でも成功作だったと思う。

 この作品の英語タイトルは「STRAY DOG(のら犬)」という。このタイトルの意味するものこそ、押井監督が繰返し語る物語のテーマだったのではと、サントラ盤を聞きながら思った。それは、もしかすると御自身の事なのかもしれない。そして何かに突き動かされるかのように、馬車馬の如く働いたあの頃のオレもまたSTRAY DOGだったのかもしれない。

You can go your own way.

アーバン・カウボーイ(Urban Cowboy) ”大人のカウボーイ”って、”いい歳した特撮ファン”みたいなもんか?

アーバン・カウボーイ
1980年米 監督 ジェームズ・ブリッジス

 1980年代前半は日本でも洋楽が大変身近な時代だったと以前にも書いたけど、その時代のシーンに「サウンドトラック」というキーワードは欠かせないものだろう。ただし、この時代の「サントラ」はそれ以前とは若干、いや、かなり違った様相を呈していた。ちょっと前なら”オムニバス”、今なら”コンピレーション”とでも言える仕様のアルバムが、「サントラ」の名のもとに洪水のようにリリースされていた。

 それは一体いつ頃からの事だったのか?今から思えば1978年の「FM」がそのはじまりだったかもしれない。初期の頃には、たとえ映画と全然溶け込んでいなくてもまだ映画で使われていただけましだった。しまいにゃ全然無関係な曲まで収録してサントラと言い切る神経には、流石についていけなくなったものだ。従って生粋のサントラ・ファンからは”コンビニエンス仕様”などと軽視され、音楽ファンからはアーティストのオリジナル・アルバムと同等の扱いを受けようわけもなく。ただ、そんな風に音楽に深いこだわりを持たない”普通の人々”にとっては、映画とセットで記憶に残るわけで、結果的には大変馴染み深い曲になった事だけは間違いない。

 そんな映画の”サントラ”からシングルカットされてヒットした曲を挙げてみようか。クリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(ミスター・アーサー)、アイリーン・キャラ「フェイム」(フェイム)、ケニー・ロギンス「フット・ルース」(フットルース)、ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチー「エンドレス・ラブ」、・・・・やめ。ほんとにエンドレスになってしまう。つまり1980年代前半は映画がらみのヒットが多かったという事です。

 さて前置きが長くなったけど、そんなサントラ・ブームにもちょっと乗れなかった感があるのがこの「アーバン・カウボーイ」。ジョン・トラボルタ主演で、舞台はニューヨークの西部風ナイトクラブ「ギリーズ」、カウボーイかぶれの若者がダンスしたりオンナの子口説いたりロデオ・マシーンでタイマンはったり、とか、まあ、そんな映画らしい(実は見ていない)。設定だけだとアメリカン・ニューシネマの大名作「真夜中のカウボーイ」を彷彿とさせるけど、今もってこの映画をカルト的に語る人と出会った事がないし、それどころか知ってる人もほとんどいなかった事からしてきっと足元にも及ばないお話なんだろーに。トラボルタだけに「サタディ・ナイト・フィーバー」の設定を変えただけの安易な焼き直しのような感も受ける。

 従ってそんなにサントラも話題になったわけではないけれど、僕はFMで聞いた、おそらく劇中で歌われたであろう「Stand By Me」が好きだった。歌うは実在したクラブ「ギリーズ」のオーナーにしてカントリー・シンガーのミッキ-・ギリー。このあまりにも有名な定番曲にはこれまたあまりにも有名なカヴァーにジョン・レノンという大看板があるのだけど、僕は当時からカントリー・バラードに姿を変えたこっちのがすきだった。

 最近中古屋でこのサントラ盤を偶然手に入れた。サントラにしては珍しい2枚組のボリューム。全編カントリーと当時最先端のおしゃれなAORあるいはウェストコースト・サウンドで占められて、結構確かなトータルコンセプトを感じる。ジョニー・リー「Lookin' For Love」なんてなかなかなヒット曲だったな。その他、リンダ・ロンシュタット、J・D・サウザー、ケニー・ロジャース、ジョー・ウォルシュ、ダン・フォーゲルバーグ、ボニー・レイットなどアメリカン・ロックのビッグ・ネームがずらり。しかもほとんどが知らない曲ばかり。ライナーによれば2曲だけが既アルバム収録曲で、それ以外はすべて新曲か未発表だそうだ。ちなみにその2曲とはイーグルス「いつわりの瞳(Lyin' Eyes)」とチャールズ・ダニエルズ・バンド「夜に恋して(Falling in Love for The Night)」(これがなかなかイカすんだ)、あとボズ・スキャッグスの「燃えつきて(Look What You've Done to Me)」は後にアルバム「ミドル・マン」に収録されてシングルにもなった。もしかするとこのアルバムは、貴重なナンバーが埋もれている幻の1枚なのかもしれない。

 「Stand by Me」は4つのコードが循環するだけの非常にシンプルなナンバー。それだけに何度もセッションでやった事があるけど、どこへ行ってもオリジナルかジョン・レノン・ヴァージョン。一度このミッキー・ギリー・ヴァージョンをやってみたいな。

モダン・ポップ/ダリル・ホールとジョン・オーツ R&Bがそんなにえらいのか?

モダン・ポップ(紙ジャケット仕様)
X-static/Daryl Hall & John Oates (LP;RCA RVP-6419 CD;BMGファンハウス BVCM-372 1979)

 あんまりデータが使えないのもなんなので、今回からCD番号は現行入手可能なデータ(但しページを作成した時点のデータですのでご注意)を調べて記載する事にしました。でも廃盤なんかはやむをえず、発売時期のを記載するしかないのでご了承願います。

 ダリル・ホールとジョン・オーツ(以下ホール&オーツ)は、いわゆるブルー・アイド・ソウル・デュオとして知られている。そして、80年代はたくさんのヒット曲を持つポップ・スターだ。だが、それだけではなんかいかん気がする。そう思ったのが、今回書こうと思ったきっかけ。おりしも、BMGファンハウスから全アルバムがリイシューされたばかり。

 このアルバムは、彼らの中で一番好きなアルバム。個人的にはモスト・フェイバリットな「Wait For Me」が入っている事もあるのだけど、R&Bヲタクがロックにも色気を示した結果、いいところに着地したアルバムだったとも思うから。ここには”ソウル・デュオ”らしい姿はほとんどない。ニューウェイブのエッセンスとロックのエッジ。なんともカッコいいナンバーがいっぱいだ。前作「裏通りの魔女」「赤い断層」からどんどんロック色を強くしていった感があるけど、ここへきてそれがいい形で結実したようだ。この後の「モダンヴォイス」から、どんどんヒット曲を量産する事となっていくため、アーティスト的な冒険もこのアルバムがピークだったと思える。とは言いつつ、今聞くとかなり”ゆるいロック”ではあるけれど。

 この頃のライブはアルバムにもなっているしFMでも何度か耳にした事があるけど、時折やたらと長い曲がでてくる。この手のユニットには珍しく、インプロヴィゼーション展開が行われていた。「Sala Smile」などどんどん原曲を離れていく。おそらくこの頃は、普通に”ソウル・デュオ”と呼ばれる事に何か反発を感じていたんじゃないだろうか?

 そこでおもしろいアルバムがある。1980年に発表された「セイクレッド・ソング」というダリル・ホールのソロ・アルバム。このアルバムは1977年に録音されているものの、2年以上もオクラ入りとなっていたという曰く付きのもので、その理由のひとつ(一人にして超強力)として挙げられるのがゲストのロバート・フリップ。言わずと知れたキング・クリムゾン宮殿の王様ギタリスト。一見結びつきそうにないこの二人は当時結構親交が深かったらしく、フリップのアルバム「エクスポージャー」にもホールはゲスト参加しているらしい。

 「バブス&バブス」という曲はかわいいくらいのポップなんだけど、間奏に入ると途端にグニョグニョ。このミスマッチ感というか”とってつけた感”がなんとも素敵。「都会の風景」という曲にいたっては、完全にキング・クリムゾンで、これに無理矢理なホールのボーカルが乗る、というより、やっとこついていっている。この後数枚ホールのソロはリリースされるけれど、”トンデモ感覚”ではこれがピカイチ。オクラになる理由もうなづける。歴史に残るキテレツ・アルバムだ。なんか、こっちをメインにした方がよかったかな。とにかく、ホールもまたアグレッシブなサウンドの追及者だったのだ。

 かくしてこの「モダン・ポップ」(にしてもイケてない邦題だ。いいという人もいると思うけど、マンハッタン・トランスファーでも通用しそうな点で無難すぎると思う。)を最後に、”ホールとオーツのミラクル大作戦”は終わりを告げる。以降はポップ・スター時代を謳歌し、彼らのアイドルだった元テンプテーションズのデヴィッド・ラフィン&エディ・ケンドリックスとの共演を経て(ライブ・エイド、および、アルバム「ライブ・アット・ジ・アポロ」)、かつては反旗を翻した”ソウル・デュオ”の枠に自らを押し込め、やがては”R&Bの継承者”に甘んじる。アルバムがどんどん面白くなくなっていったのは言うまでもない。

 ポール・ヤングのヒットで有名な「Everytime Time You Go Away」であるが、ヒット後はホール&オーツもライブで取り上げるようになった。だけど「ポール・ヤングも歌った」などという紹介をしていたのは、ちょっとがっかり。ちなみにこの曲、もともとシングルでもなかった。カヴァーしたポール・ヤングのセンスこそすごいと思う。すごいのだけど、彼もまたその先達と同じ道をたどっていったのはなんとも皮肉。

名もなき詩 na mo naki UTA/雑派編

アスペクト;ISBN4-89366-853-6 1997年11月6日

 名作の誉れ高いウルトラセブンの中でも、ベル星人が登場する第18話「空間X脱出」はマイナーな方に属するエピソード。にも関わらずこのエピソードには、屈指の名セリフがあった。

 BOROが歌い今でも時折カラオケで誰かが歌うのを耳にする「大阪で生まれた女」は、18番まで歌詞があった。

 この地味な装丁の新書サイズの本は、様々なジャンルからピックアップした”コトバ”からなる作品だけで構成されている。帯のコピーを引用する。「詩集にも、教科書にも載らない。けれども、こんなに素敵なコトバがあった。」その対象は歌詞、CM他のコピー、ナレーション、セリフ、エッセイなど。

 ある種カタログ本とも言える本書、こういうものは内容を羅列するのが手っ取り早い。以下に収録作品の一部のタイトルを列挙します(こういうのもあんまりやりすぎると、興味をそぐ事になっちゃうのでさわりだけ)。

・シンデレラ・エクスプレス(CM)
・1960年代のある日、この店に火星人が来た。(CM)
・EVANGELION DEATH&REBIRTH
・はっぱふみふみ(CM)
・チンピラ
・木枯らし紋次郎
・仮面の忍者 赤影
・ジェットストリーム(城達也!)
・必殺仕事人
・俺たちの旅
・競馬も[遊び]のひとつです。(寺山修司CFナレーション)
・現役引退挨拶(長嶋茂雄)

 他、総計60編余。これは単なる資料本ではない。残される意図もなく書きとめられた、あるいは、語られたコトバたち。それを集めたというだけで、何か違ったジャンルの文化に転化した。そういう本。

 音楽の歌詞は詩ではない。”歌詩”ではなくて”歌詞”ある。すなわちそれは、音楽的に羅列された言葉であるというに過ぎない。だから英語ではwordsと表記する(たまにLylicsとする場合もあるし、同様に日本でも歌詩と表記する場合もある)。だから僕は一般的な”詩”よりも”コトバ”の方に、より音楽的なものを感じるのだ。さらに、そうした言葉の羅列から詩的な世界感を構築するという仕事は、やはり並大抵のことではない。PUFFYのデヴュー曲「アジアの純真」を聞いた時は、ほんとうに驚いた。あんなラリパッパな言葉を並べてちゃんとアジアっぽいのだから。話がそれた。

 僕は何故か昔から、死語だとかCMのコピーだとか名セリフだとかサブタイトルだとか、そんなものにとてもひっかかる。どこか文学青年的な資質があるのかもしれない。そういう言葉の向こう側に時代とかの匂いをかぎとるからなのかもしれない。

 とにかく大好きな一冊。続編を希望する。

1984年4月

 僕はThe Style Counsile(以下スタカン)の「My Ever Changing Moods」という曲が大好きだ。とりわけ毎年春先になると聞きたくなる。この曲がよくオンエアされていたのは1984年初頭だった。

 その年の春、僕は就職のため上京した。かつてジョージ・オーウェルが暗黒の管理社会を予見し、それにインスパイアされたデヴィッド・ボウイがアルバム「ダイヤモンドの犬」でさらに退廃的な色合いを加えた1984年。そんな最もSFチックな近未来だったけど、実際になってみるとしばらく続いていた不景気もようやく上向きに転じた時期だったせいか、実に穏やかで平和な年だった気がする(そしてすぐにバブル景気に突入するのだが・・・)。名古屋生まれなので都会育ちと言えばそうなんだけど、やはり東京での生活は比べ物にならない。第一人の多さが違う。それに歩くのも速いんだな、東京の人は。だから、最初のうちは仕事から帰ると疲れきって寝るだけの日々だった。そんな中、ある日FMを聞いていたら(その頃は、これが最大の音楽ソースだった)スタカンの来日公演を生放送していた。「東京ってすごいとこだなあ」と思った。

 この頃はMTVブームもあって、日本でもよく洋楽が聞かれていた時代。当時10代後半から20代前半くらいだった人たちは、そんなに洋楽ファンでなくてもあの頃のヒット曲をよく覚えている。キーワードは”第2次ヴリティッシュ・インヴェージョン”、”クィンシー・ジョーンズ”、”サウンドトラック”、etc・・・・。誰もがマイケルジャクソンの「スリラー」を持っていたっけ。そのくらい洋楽が身近だった時代。最初に住んだ場所は中央線の武蔵境で、ここの民間アパートを会社が寮として借り上げていた。だから吉祥寺が至近だったので、最初の休みにはまずそこへ行ったんじゃないかな。あんな風にこじんまりとオシャレでそれなりにサブカルチャー色もある街というのは名古屋にもなくて、広域に繁華街が点在する東京ならではのものなのだと思う。上京して初めて買ったレコードがトンプソン・ツィンズの洋盤。「Hold Me Now」が好きだった。吉祥寺駅すぐそばのディスクユニオンで買ったんだと思う。そして、ここがあの井の頭公園なんだと感動したっけ。

 あと最初に見た映画というのが「ウルトラマンZOFFY」。これは確か渋谷東急文化会館でしか上映されていなくて、東口の歩道橋の上で創刊されたばかりのぴあマップを広げてやっとたどりついた。ついてみると若者の長蛇の列。「すげえ、ウルトラ人気(この頃は4度目のブームが起き始めていた)はほんもんだったんだ。」と喜ぶのもつかの間、それは「風の谷のナウシカ」の列だった事にじきに気づく。

 ご多分に漏れず上京一年目なんて暮らしていくのがやっと。でも、ピアノだけは続けたいので、四谷のヤマハ音楽教室にクラシックのレッスンにもすぐにかよった。大学の頃、大枚はたいて買ったローランドの電子ピアノ”PIANO PLUS”は最初から名古屋から持ってきた。

 薬学部出のくせにコンピュータ業界にきてしまった僕は、早くもその無理さ加減に苦しむ事になる。薬学部を卒業した学生はすぐに薬剤師の資格をとるために国家試験を受けるのだが、その試験日が4月の2、3日でしかも平日。これが製薬業界だったら何の問題もなく受験できるけど僕がいるのは全然違う業界。4/1入社式の翌日の研修スタートにさっそく2日も休む事になる。また入社式の後、なぜか皇居一周マラソンをさせられ(恒例らしい)その後は先輩たちにしこたま飲まされた。自分が卒業した学校の学生はほぼ100%近くがこの卒業直後の時期に合格するのだけど、数少ない不合格者に入ってしまった(合格までに都合6回受験する事となる)。しかも有給のない時期の休みだから、欠勤扱いとなって記念すべき最初の給料からは1万強さっぴかれるというおまけつき。東京生活はこんな風に最初からけっつまづいていた。

 今でも春先になってくると、「My Ever Changing Moods」を思い出す。この曲を聴くと、あの1984年の春の日々を思い出す。僕にとっては、最も春のイメージが喚起される1曲。ちなみにこの曲、アルバムにはピアノだけのスローなヴァージョンが収録されていて、オンエアされていた方のヴァージョンはシングル集でしか聞けない。僕が好きなのは、当然こっちの方。

 今年もまた一番東京で電車が混む季節がやってきた。何度もそんなのを見かけるうち、いつの間にかデヴューしたての社会人がすぐにわかるようになった。

 俺もきっとあんな風に全然スーツが似合ってなかったんだろなあ。

彩(エイジャ)/スティーリー・ダン

彩(エイジャ)
Aja/Steely Dan (CD;ユニバーサル ミュージック UICY-3026 1977)

 何から書こうか・・・・。

 最近このアルバムがいかに作られたかを解説するDVDが発売された。クラシック・アルバムズ「スティーリー・ダン/彩(エイジャ)である。一般には徹底的なスタジオワークスの賜物と言われるが、同じキャッチで語られるビートルズ「サージェント・ペッパー~」やピンク・フロイド「狂気」などと違うのは、それらが電気的に音を加工しつくしているのに対し、「彩」はほとんどプレイヤーの音をそのまま残している事。ただし、その方法論が問題だ。1曲ごとにメンバー以外のパートを総とっかえするなんて、ほんとに可能なんだろうか。でも、このアルバムは事実そうして作られた。このDVD、音楽作りに興味のある人は絶対見て損はない。収録曲「ブラックカウ」の話になった時、後年になってそのループをサンプリングしたヒップホップ曲のラップパートを、ドナルド・フェイゲンがマルチの再生に合わせて歌うシーンとか、カッコいいシーンがいっぱいあります。

 今回、このページを書く際に、Webで検索をかけてみた。スティーリーの最高傑作である事はおろか、いつの間にかロック史に残る名盤となっている。詳細なコード理論に基づく解説など、音楽に関われば関わるほどこのアルバムに対する造詣は深くなるばかり。今更俺が何をつけたそうと言うのか。ちゃんと、あるんだな。それが。

 まず邦題が秀逸。ajaと書いて”彩”。jをドイツ語読みしてつけたこのタイトルこそ、このアルバムの本質を明確に表現していると思う。LP発売時には帯に”彩”の文字が原題と同じロゴスタイルで書かれていた。帯までスタイリッシュだったという事だ。ところでロック固有名詞がふんだんに登場するマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」では、この邦題ネタが使われたらしいけど未確認。

 このアルバムが発表されたのは1977年。僕は高校2年生だった。洋楽どっぷりな毎日とは言え、まだまだ駆け出しのロック少年。新譜どころか昔を遡るのも忙しい頃。でも、中心はハードロックにプログレとまあ当時の典型的な洋楽少年だったわけだ。

 当時小銭いは5千円。LP1枚買ったら後は買い食いやらなんやらで消え去るのが常。だから、月イチのアルバム購入は慎重な事この上ない。当時の僕にはそれが一番の大問題だったのだ。

 そんなロック入門少年が何故にこのアルバムをセレクトしたか?もはや明確な理由はわからないけど、ジャケというのは嘘ではない。しかも日本人モデルの山口小夜子を起用しているという事で、それが誰だかもわからず、でもなんかすごい事のように思えて。もしかすると、これが僕のジャケ買い第1号かもしれない。しかもそれまでスティーリーの音は一度も聞いていないのだから、何かの直感が働いたとしかいいようがない。

 すこし脱線。「エイジャ」を買った月は同時にもう一枚のアルバムを買ってしまった、僕にしてみればそれは大冒険である。それがあの「宇宙戦艦ヤマト」ドラマ編だった。この後大洪水の如く発売となるアニメアルバムの嚆矢となった1枚。「エイジャ」を買いに行ったその日、行きつけのレコード屋の入り口にデーンとでっかいヤマトの看板。これだけで、「何事か!?」である。気がつけば、2枚のLPをレジに持っていった俺。あの時の喜びとちょっぴりの後悔は今も忘れられない。でもヤマトは2,000円以下だったんだよね。

 各曲の解説は既存Webにおまかせするとして、僕が惚れ込んだのは「ディーコン・ブルース」というA面最後の曲。この頃ヘルマン・ヘッセにはまっていて、歌詞の対訳の中に「車輪の下で死ぬ」という言葉をみつけてちょっとうれしかったり。シングルカット曲ではないけど、この曲は後年の編集ベストにたまに入いる事もあり、結構隠れた名曲扱いになっているようだ。イギリスではディーコン・ブルーなるバンドも90年代に出現した。

 何かに書いてあったけど、何十年と値段が変わらないものの代表として、レコード(CD)と卵が上げられるそうだ。2千なんぼを払っても1回しかリピートしないアルバムもあれば、今だに1年に数回はリピートするアルバムもある。「彩」は僕にとってほんとにつきあいの長いアルバムだ。だからとってもコストパフォーマンスのいいレコードとも言える。

 「仮面ライダークウガ」という番組があったけど、なんとこのアルバムから「ジョージィ」がほんの少し流れた事があった(13話)。アダルトな作風の本編だったけど、ちょっと驚いた。

 タイトル曲「エイジャ」は非常に高度にして特殊なコード理論に基づいて作曲されたものらしい。いつだったか、そんな記事を雑誌でみかけた。それが音楽雑誌だったかどうか、も定かでない。誰か心当たりがあったら情報求む。

ぼくが愛するロック名盤240/ピーター・バラカン

ぼくが愛するロック名盤240 (講談社プラスアルファ文庫)
講談社α文庫;ISBN4-06-256301-0 1998年11月20日

 ピーターバラカン氏は昨今ではニュースキャスター的な活動で知られているけど、なんと言っても私にとっては音楽評論家およびDJパーソナリティである。すなわちそれは”音楽リスナーとして信頼のおける先達”と言うことでもある。そんな氏が書き下ろしたこの文庫はよくある”ロック名盤”的なものとは一風構成を異にする。

 ピーター氏の嫌いなバンドORアーティストは、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、デヴィッド・ボウイなどだそうだ。落とすには相当勇気のいるこれらのアーティストに関して、一言の言及もない。全然ない(あ、ジミー・ペイジはきらいとかは書いてあった)。まずその潔さに驚く。それと次の瞬間ちょっと困る。「ホントに嫌いなのね。」って。この3アーティストに関しては、相当に思い入れの深いものがある当方としては特に。
 だがそんな事抜きにして読み進むと、新たな地平が開けていく。この本を手にした頃は、ちょうどUK中心に聴いてきた自分が同時代のアメリカの音楽に目を向け始めた時期で、懸命に自分のミッシングリンクを埋めていたものだった。その”探求の旅”に大いに役に立ったのは言うまでも無い。今でもこの本は付箋だらけだ(ページを折るのはちょっと抵抗があるので)。何よりこの本を執筆するモチベーションの中心に”ロックに対する愛情”がしっかりある事。これがこのささやかな文庫本の最大の魅力。バラカン氏はもっとも幸せなリスナーの一人だと思う。

 僕にとってはZEPもフロイドもボウイもどれも思い入れの深いアーティスト。でも、それらを大嫌いというバラカン氏の”耳”も僕は信頼する。私を見習いなさい(笑)。

海の上のピアニスト(The Legend of 1900)

海の上のピアニスト
1999年米伊合作 監督ジュゼッペ・トルナトーレ
 「ニューシネマパラダイス」で日本ではミニシアターの歴代動員1位(2002年3月現在)の記録を持つジュゼッペ・トルナトーレ監督。その待望久しい感動大作!・・・って感じで公開されましたが、”ピアニスト映画”と言うのでたしか正月の2日にわざわざ見に行きました。確かに主人公”ナインティーンハンドレッド(めんどくさいんで以下1900)”に感情移入すると感動したりせつなくなったりしてしまうけど、僕は全然違う点でこの映画を評価してしまった。ほとんど”バカ映画”と言ってもいいくらいの”映画的大嘘”が実にたくみに織り込まれている点、これだ。
 何と言っても白眉はジェリー・ロール・モートン(実在したピアニスト)と1900とのピアニスト”真昼のOK牧場の決闘”。これはもう「ゲームセンターあらし」。さもなきゃ、「包丁人味平」か「釘師サブやん」か「ミスター味っ子(ただしアニメ版に限る)」か・・・・。何にしろそーゆうやつ。要するにこの映画は極めてマンガチックな表現がなされているという事だ(誰も指摘しとらんだろー)。ちなみにこのジェリー・ロール・モートンであるが、絵に描いたような悪役系ライバル顔である。おまけに芝居も「おまえは早川健か?」ってくらいスカサーで臭い。うちにモートンのCDが一枚あるのだけど、ジャケ写からして似ても似つかぬ別人である(ほんものはもっと上品な顔立ちです)。これ、”マンガ化”が徹底しているという事の証拠に他ならないのではないだろーか。考えてみれば、誰もケチをつけられない「ニューシネマ~」だってそうだ。映写機を外に向けて壁に映して映画館に入れない客に見せるシーン。あんな事できる劇場があるのかしら?(でもあったらすいません)。
 要するに、映画の感動とか名シーンというのは、リアリティとはまったく無縁であるという事がこの監督の映画を見ているとよくわかる。「んな事あるわけねーじゃん!」と思いつつ、ついつい語ってしまうのはこういうシーンなのだ。よくできた”映画的ウソ”であれば、お金を払った価値があるというものだ。それだけで、オレは見に行った甲斐があった。あと嵐の中のピアノのシーンもファンタスティックだし、一度だけ恋する女性との一連のからみもたまらなくせつない。サブエピソードとして挿入されるアメリカ移民と自由の女神のくだりも、味わいを高めるのに一役かっていると思う。

 でも一度は上陸する決心をした1900が、ギリギリのところで船に戻ってしまうシーンはちょっと胸が痛かった。あれ、うまく説明できないけどわかる気がするのよね。
 お世話になっている某楽器店のJAZZドラム講師の人はこの映画がいたくお気に入りで、「これがJAZZの原点なんだよ!」とえらく熱い。やっぱ”スポ根マンガ”だったのか、この映画。「何度でも見ろ!」というのでDVDまで買ってきたけど、まだ1回しか見れていません(ごめんなさい)。

 全然音楽の話が無いじゃん・・・・・最初なのに。

愛はすべてを赦す/加藤登紀子 with 坂本龍一

愛はすべてを赦す
(LP;POLYDOR 28MX2046 1982)

 このアルバムは1982年、加藤登紀子が時の寵児・坂本龍一をゲストに迎えて作成したもので、1曲のみオリジナルがあるものの基本的にはカヴァーアルバムと言って差し支えないと思う。では何のカヴァーかというと、主に1920年代から30年代のヨーロッパやアメリカの流行歌や映画音楽、舞台音楽などを取り上げたもの。坂本氏が自身で演奏するピアノが伴奏のほとんどで、曲によっては打ち込みが使われたりしているがそれでも最小限の音源で、実に静かなアルバムである。当時の日本のポップシーンはテクノポップやニューウェイブも一段落し、山下達郎や大滝詠一、松任谷由美などの”職人的”ポップスが時代をリードしはじめた頃。テクノロジーが音楽製作に当たり前のように取り入れられだした頃でもあり、CD出現前夜のためか音がどんどん厚味が増していった時代でもあった。そんな時代に逆行するかのごとく、本アルバムはとてもミニマルな仕上がりとなっている。
 当時のFMでの坂本氏の言葉を借りると「このアルバムに収録された曲は、楽曲そのものが持つ重みが違う」。これで私はクルト・ワイルという作曲家の存在も知った。また、フィリップ・グラスなどのミニマルミュージック、そこから伊福部昭などの映像音楽、サティやイーノなどの環境音楽など、ポップス系以外の世界にも興味の翼を広げていくきっかけにもなった。この頃は自分が唯一弾ける楽器ピアノだけで何が出来るかとかそんな事を考えていたので、その部分でもかなりツボだったんだな。この数年後、世界的にウィンダムヒル・レーベルのブームが興り、ジョージ・ウィンストンがビルボードのチャートに登場したりするが、まあ言ってみれば今の”癒し系”とか”ヒーリング・ミュージック”に繋がっていく系譜なんだと思う。でも、誤解しないでほしい。これらの音楽を”癒し”のタームで語る事のなんと安易な事よ。ミニマルな構成で奏でる音楽に込められた集中力を前にしたら、癒されてなんかいられるものか。
 収録曲で好きなのは、クルト・ワイルの有名な「三文オペラ」から「アラバマソング」「人間の努力は長続きしない」「セックスの魔力についてのバラード」、映画「会議は踊る」から「唯ひとたびの」、パルチザンの唄「今日は帰れない」など。
 この作品の後、同様のコンセプトで加藤登紀子は「夢の人魚」というアルバムをリリースする。今度は日本の古い曲をカヴァーするというもので、近年ソウルフラワーもののけサミットが展開するコンセプトと近いと思う。坂田明のキテレツなボーカルなど聞けるけど、こっちは買いそびれた。2枚とも切に乞う。CD化。

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