昨日は朝早くから子供に起こされ、ゴミ出して、GW価格のマックメニューをみんなで食べて、子供を公園に連れてってといういつもの休日のメニューをこなした後は、夕方近辺を原チャリでブラブラ。子供用マスク探しに幡ヶ谷まで行ってついでにブックオフに寄ったわけだが、CDコーナーに差し掛かった時何故かふとキヨシローのコーナーが目に止まった。RCじゃなくキヨシローの方。ラフィータフィーの1stがあったら欲しいなと思ったけどそれは無く、何故だかソロ第1作の「RAZOR SHARP 」が2枚も目についた。しかも87年当時発売時のヤツ。夜、子供寝静まった後いろいろ用事片付けてリビング行ったらネットさぐってた女房が「キヨシローさん、亡くなったって」と。ゆうべは1人飲み倒して明方までピアノで何度も「スロー・バラード」弾いた。
今日は家族で渋谷の東京都児童会館に行った。途中1人で抜け出して、タワレコで「ラフィータフィー」とRCの「Baby A Go Go」買ってくる。品薄という感じでもなかったけど、店員がどんどんCDを補充してくる。考える事は皆いっしょで、朝からどんどん買ってる人がいるんだろうな。
最初に知った曲は「僕の好きな先生」。ラジオの深夜放送を覚えた小6くらい(1972)の頃の事。アーティスト名はわからないが、好きだった1曲。その次は中2くらい(1974)の「スロー・バラード」。こん時もまだアーティスト名は知らなかった。
そして大学2年(1980)の年、RCの大ブレイクがくる。その頃はほとんどの音源をFMエアチェックで調達していた時期。好きな人には申し訳ないが、その頃のオレは洋楽一辺倒で日本のロックというのはほとんどがダメだと思い込んでいた。しかし、「日本のも結構いけるじゃん」と思わせてくれた最初のアーティストがRCだった。オレは工学系の学部に進みたかったが、意に反して薬学部に入ってしまった。そのせいか、やる気が全然出ずほとんどの授業をさぼっている毎日だった。そん時に聞いた「トランジスタ・ラジオ」は、まんまオレの大学生活だった。「彼女教科書広げてる時、ホットなナンバー空にとけてった」「居眠りばかりしてたら、目が小さくなっちゃった」これだ。
そんな20歳くらいの頃、当時40だったミック・ジャガーの腹見て「ロックはこうじゃなきゃいかん!」と勝手に思い込む。キヨシローもしかり。それ以降ボーカリストはケツ小さくてしまってなきゃいかん、とこれまた勝手に決め付けて。40過ぎまではオレもがんばって腹出て無かった。でも嫁さんもらった今では、新宿区にメタボ対策で呼びつけられるようになっちゃった。
で友達に「プリーズ」と「ラプソディ」をカセットに録音してもらい、擦り切れるまで聞きまくる。その後リバイバルでリリースされた「シングル・マン」や「初期のRCサクセション」を聞いて初めて前述の曲が彼らの曲だったことを知る。「シングルマン」もやたらと聞いたなあ。本気なのかシャレなのか、RCAの社長の「こんな素晴らしいアルバムを廃盤にしていてすいません」という帯の謝罪文が今でも記憶に残る。ロック・アルバムとしても上出来だけど、「歌のアルバム」としても活き活きしていて大好き。オレは井上陽水の「氷の世界」というアルバムも大好きなのだけど、これらは日本が生んだ2大名作「歌のアルバム」だと思う。その中でも最も好きな「帰れない二人」がキヨシローの作詞と知った時はものすごくうれしかったり。それから「シングルマン」のホーン・セクションはタワー・オブ・パワーだったと最近知った。ずっと梅津和時や片山広明ら生向委のメンバーと思い込んでたけど、まだこの頃は交流なかったのね。
それからRCはバカ売れしちゃってついに「サマーツアー」でチャートに入ったりする。この頃レコード会社はキティからEMIに移り黄金期になるんだけど、どういう訳かオレはEMI時代の音源は全然ない。実はうちにはRCのLPも1枚も無い。あるのは画像の変則的なシングルばっかり。ずっと、録音したカセットを聴いていたのだな。
次にキヨシローを意識したのがタイマーズ。シングルとアルバム両方買ってしまう。写真はタイマーズ人形。それから物議をかもした「カバーズ」。これはレコード会社を古巣に戻しキティ=ポリドールでのリリース。CD時代になってこのキティ=ポリドール時代のボックスがリリースされ、すぐに買った。オレが好きだったRCは全部これに集約されている。「カバーズ」の「シークレット・エイジェント・マン」が死ぬほどかっこいい。この時共演した坂本冬美と後にHISを結成するのだな。
で、いつしかRCは解散し、彼らの事もあんまり思い出す事はなくなった。で、98年豊洲でやった2回目の「フジロック・フェスティバル」でついにオレはキヨシローの生ライブに遭遇する。1曲目は知らない曲、でも2曲目がまさかのあのリフ「雨上がりの夜空」。こん時のライブはRCのナンバーを多くやってくれた。期待していなかっただけに滂沱の涙。
以降の思い出と言えば99年のフジロックのイメージ・ソング「田舎へ行こう」。その年は母親が亡くなった年で、病床にいる事に後ろめたさを感じつつもチケット買ってしまったので行ったのだ。昨年フジロックの10年間をまとめたDVDがリリースされたが、この曲を聴くとどうしてもその頃の事を思い出す。初めて苗場で開催された年で気の重いフジロックだったが、会場のあちこちでかかっていた「田舎へ行こう」が少し気持ちを楽にしてくれた。
オレはいっぱいいろんなライブを見てきたけど、RCの生のライブを見れなかった事は今でも悔やまれる事のひとつ。チャボのソロライブも別で見る機会があったし、梅津・片山の出演した山下洋輔のライブも見たんでもう合算で見た事にする。それからテレビで見たキヨシロー芸能生活30周年の「Y3K」というライブイベント。チャボが「オレたち50だってよお」と言うセリフにジンと来たり。そんなオレもまさか来年ほんとに50なのだ。
キヨシローさん。オレは今いっちょ前に家庭なんか持っちゃって、ほとんど毎日生活に追われてるだけ。いろんな事が次々にあって本音言うと今でも全然自信持てなくて。どうすりゃいいのか、ってしょっちゅう悩んでてね。いつだったか夜中にテレビであんたのライブ見て「大人なんだろ~」って曲聞いて泣いた事もあった。
でも音楽はなんとかやれてます。細々と。あんたから受け取ったメッセージとかいろんなものをオレなりに解釈して。何年か前、キース・リチャーズがやしの木から落っこちて「いよいよ死ぬか?」と騒ぎになったけど生き延びた。生き延びてツアー継続したらしくて。ロック関係者のしぶとさは筋金入りと思ってあきれると共に頼もしくもあった。
じゃあ、なんであんた死んじゃったのかな。ダメじゃん。
「ジンライムのようなお月様」って、最高の歌詞だと思う。大好き。
これからもがんばるよ。これまでほんとにありがとう。
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